Mac崩壊の一部始終 =葱男

私が始めてパソコンというものを手にし、その、驚くような情報と編集の世界に足を踏み入れたのは2003年の春のこと。

同じような和風の図案や絵を描いている友人が大のMacファンで、イラストレーターやフォトショップでいろんなことをして遊んでいるのを見て、私も下手な絵描きの端くれである、芸術家というものはWindowsではなくMacを使いこなすものであると自分に言い聞かせて、当時、発売されたばかりのOS Xを掲載しているデスクトップ型の白いeMac(エデュケーションマック)買った。
アップル製品特有のしなやかなラインと性能の高さに私はすぐにMacファンの一員に加わったのであった。

あれから12年、本当にMacはよく働いてくれた。一緒に働いていてとても心地良かったし、楽しかった。
それは、数年後、ネット環境が著しく複雑かつ膨大な容量のページを多く配信するようになり、インターネットエクスプローラーがすぐにフリーズするようになり、ネットサーフィンのためだけにと購入した韓国製のvistaと比較してみると明らかな違いであった。

私の買った二台目の安物のパソコン、Windows vista home basicのなんとめんどくさく、押し付けがましく、融通性がなく、小うるさくて仕事の遅いこと。
私はたまに大きなホームページを見るときにだけ、vistaを開いていた。
しかし、時代の流れというのは恐ろしく早い。
それまで快適にコミュニケーションしていたmixiやFacebookもどんどんヴァージョンアップしていって、私のOS Xでは開かなくなってしまった。
それでも私はMacの仲間たちであるフォトショップやmiやアップルワークスと一緒に仕事をしていた。 どんな画像も文書もアップロードもスキャンもMac組で力を合わせてものづくりした。
そうして私は、自分一人の力で「月下村工房」のホームページも、「セレネッラの咲くころ」も「丘ふみ遊俳倶楽部」のページも作ってきたのだった。Macがもう年寄りで、いつ寿命が来てもおかしくないことは知っていたが、ウイルスの恐怖も少なく、すべてを人間的になんとか対処しようとしてくれる彼のことを本当に心から好きだっのだ。

後から考えると馬鹿な話だけど、バックアップしていた資料のほとんどはフォトショップかアップルワークスがないと開かない代物である。
つまり、vistaで開き直せる資料はほとんどないと言っても過言ではない。

ある夜のこと、私はいつものように気軽にシステム環境をOS XからOS 9.2へ、またOS Xへと移動しながらハンドメイドフェルトのカタログを作る作業に没頭していた。
OS Xでの文字のインプットにえらく時間がかかるので、いつものように軽い気持ちで再起動してみたのだか、それでも動作速度は著しく遅いままだ。
私は何の気なしにシステム環境をOS 9.2に起動し直してみた。
するとどうしたことだろう?
こんなことは初めての経験なのだかデスクトップ上に並んでいるアプリケーションの顔が今まで見たことないアイコンの顔に変わっているのだ。すべてではない、半分ぐらいが同じノートとペンを持ったいかにも文書ソフトのような顔に変わっていた。
私はまずはじめに、何か問題が起こったときに試してみるいくつかの方法を試みて不可解な異変の回復を願った。デスクトップの再構築、PMLANの検証、その結果、DISK FIRST AIDが働いていないことが分かった。
つまり、マックのお医者さんが消えてしまったのだ、これでは軽い病気に罹っただけでも診察してもらえないではないか!

私は素晴らしいアイデアを思いついた。
そうだ、この時代のeMacには最初に初期設定するとき用のソフトウェアのディスクがあるじやないか!
それを再インストールすれば少々痛んでしまったMacに内蔵されている基本ソフトは上書きされて新品同様に生まれ変われるのではないか?
私は逸る気持ちを抑えて、アップルサポートセンターに電話して、その道の専門家でMac大好き人間たちと相談しながら本格的な手術をこころみることにした。
手始めにすべてのソフトウェアの再インストールを実行した。
これならすべの資料は保存されたまま、古くなった基本ソフトだけが新しく生まれ変わるはずだ。
インストールは順調に進み、無事にその作業を終えた、と、思った。
画面が刷新され、新しく生まれ変わった美しい画面を期待しながら私はデスクトップが構築されるのを待った。

前と同じように整然と並んでいるアイコンやフォルダを見て無事、なにごともなく基本ソフトが再インストールされたかと思った。
と、馴染みのドックに並んでいるアイコンをみて驚いた。
なんと、アップルワークスの顔がふたつに増えているじゃないか?
私はそれぞれのアイコンをクリックして情報を見てみた。
ひとつは今日インストールされたもの、もう一つは以前にインストールされていたものだということがその作成日から分かった。
そうか、この、古いやつが癌だったのかもしれない、だから一文字打つのに大変な時間がかかったのだろう。
私は再びアップルサポートセンターに電話して相談してみた。
もしかしたらその古いやつを削除することができたら、ひょっとしたら治るかもしれませんね、という話だった。すべてのソフトをインストールしたのだから恐らくOS 9.2環境にもお医者さんが帰ってきてくれるはずだし。

ただ、Macには人為的な操作ミスを犯して、万が一、一番基本的で根本的な仕事をしている、つまり、脳みたいなところを削除してしまわないように、それを管理コントロールしている絶対的な存在の「root」と呼ばれる神がいて、アップルワークスのようなMacに基本的なアプリケーションはパソコンの管理者である私でも簡単には削除できないようになっている。
アップルワークスを削除するには、私自身がその「root」たる存在から一時的にその絶対的権力を奪い、仮の神的存在にならなければならない。
しかし、その方法は確かにあるのだとサポーターはいう。
私は思い切って、なんなら神的存在になってアップルワークスを削除してやろうと思った。
神になるための手続きは大変に複雑でややこしいものだった。
幸い、サポートメンバーが親身になって助けようとしてくれたので、そのさき作業手順を詳しく説明しているページをメールに添付してくれて、それをプリントして、それを見ながら一つ一つ慎重に作業を進めていった。

それは、Macの奥深くまで次々と秘密の扉を開けていって、またそこにある小箱から鍵をとりだして次の部屋の扉を開けるというような、恐ろしいけれど少しだけワクワクするような気分にもなる作業だった。
私は、ゲームでもしているような気分でドンドンと秘密のステージをくぐり抜け、ついに神の権限を一時停止して、私自身がすべての力を行使できる権限を手に入れることができた。
私はおもむろに古いアップルワークスのアイコンをゴミ箱にペーストして、それを完全に削除した。
やった! できた!
これですべては元の通りに機能が回復したのだろうか?
いろんな作業をためしてみた。
だが、ダメだった。
植物人間と化したままのOS Xの動きはもとのままひどく鈍かった。
ダメかー、でも、OS 9.2のほうはどうだろう?
私は起動ディスクを9.2に設定して再起動させた。
画面が変わり、すべてのソフトウェアが新しくインストールされたので一番初めにこのパソコンを買ったときと同様の、いろいろな認証画面が現れた。
時間はかかったが、私はひとつひとつそのパスワードをくぐり抜けていった。途中、ネットとの接続のところでどうしても分からないところが出て来た。
つまり、このMacを購入したときはヤフーブロードバンドでadslだかなんだかと契約していたのだか、そのごルーターを光ネクストに変更していて、そのどちらの情報をインプットすればいいのか分からなかったのだ。

どうやら私は、このときに、地雷を踏んでしまったようだ。
つまり、今までの経験からして、一旦、強制終了させて、またあらためて再起動させたらもとの画面に戻るだろうと、安易に思ってしまったのだ。
これが我がMacの最期となった。
起動させようとしても、OS 9.2起動中の画面の、あるポイントに来ると必ずそこでフリーズしてしまい、前にも後ろにも進まない。
ディスクから起動することもできない、窓がオープンしないからだ。
方法がない。全く何も行使するすべがない。画面が起動しないのだから、最後の最後にと、とっておいたすべての資料をチャラにしての「初期化」さえ、試すことが、できなくなってしまった。

もしかしたらまだMacは完全には死んでいないのかもしれない。
ボタンを押すと耳なれた起動音が心地よくヴオーンと鳴って、小さなMac OS 9.2のアイコンの顔が画面に映る。
しかし、そこまでだ、何回やってもそこですべては凍結する。
おそらく、最高レベルのスペシャリストの手にかかれば、本体は使えずともその中の資料だけは取り出すことができるのかもしれない。
もし、仮にそんなことがらできるのだとしても、中に納められている資料を開くにはやはりMacとMacの仲間たちのアプリケーションが必要なのだ。

幸い、私の世界の大事なもののほとんどすべては「月下村工房」という、ヤフーのジオシティーズが管理するファイルマネージャーのホームページに納められている。
失われたものは、あるいはそれのオリジナルの資料か、あとは、自分でも何を保存しているのかわからなくなっていて、もう二度と開くことのなかっような写真や、駄文や駄句ばかりだろう。
もしかしたら、これは期せずしてして強制的に行われた「断捨離」体験かもしれない。

Macは依然として堂々たる体躯を持って、大きな机の上に鎮座ましましている。
今まで、すべてMacでやってきた編集作業もこの二週間で、どうにかvistaの画像ソフト、文書ソフトでも過不足なく作れるようになってきた。
とは言っても、まだまだ作業の質のレベルでは到底フォトショップには及ばないけど。
ただ、長年原因が分からなかったホームページの文字化けの問題は一挙に解決することになった。

詳しい説明は省くけど、これまでのページはすべて、文字コードを「日本語(EUC)」で保存していたのだ、いや、させられていたと言ってもいい、その保存方法、文字コードを自分では選べなかったからだ。
これはヤフーに抗議したいくらい大きな問題だとも思うがどうだろう?
パソコンにそんなに詳しいわけではないので問題を提言できる種類の事なのかが分からない。
現在、ジオシティーズでのHTMLファイルの保存は三つの文字コードから選択できるようになった。
つまり、「日本語(EUC)」か「Shift-JIS」か「UTF-8」の、みっつ。
ジオシティーズはなぜか今だに「日本語(EUC)」で保存することを推奨しているが、それではGoogleから開いたときのみに正しく文字が読めるが、インターネットエクスプローラー、サファリ、スマホでは文字化けしてしまう。
「Shift-JIS」で保存すればすべてのネット環境で正しく読める日本語に変換される。
私は昨日までに、丘ふみ関連のHTMLファイルだけで117x3+54=405ファイルの文字コードを保存し直した。
大変な作業だったけど、これで気持ちはスッキリした。
どうも、お疲れ様でした、自分!
(^ ^)

●崩壊ののちのしじまや夏の闇    葱




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