*俳句日々是葱々/葱男

〜アトリエに聖域ありし桜貝〜


*小久保佳世子・句集「アングル」=葱男

小久保さんは今井聖主宰の「街」の同人で、同じ「街」の矢作十志夫さん(「丘ふみ・談話室」歴史上、後にも先にも部員以外でコメントを戴いた唯一の方です。)のブログ「俳句親父 A・UN」を通じてお知り合いになった。
ハンドルネームは“nemurinn”さん、「眠りん」さんだろうか?それとも「合歓りん」さんだろうか?
いかにも乙女チックな可愛らしいハンドルネームだと思って油断をしたら大変! 彼女の俳句にはいたるところに地雷が仕掛けられています。いや、「地雷」では彼女に申し訳ないので言い換えましょう。
彼女は17文字の言葉で鐘を鳴らします。まるでアッシジの丘に立つ聖キアラ大聖堂のよう。それは祝福の鐘でもあり、警告の鐘でもあります。
我々は現代の『パクス・ロマーナ』を生きているつもりで実は『中世の暗黒』を生きているのかもしれません。

略歴
小久保佳世子(こくぼかよこ)
1945年11月18日 朝鮮平安南道生まれ
1988年 「萬緑」入会
1996年 「萬緑」新人賞受賞、萬緑同人
2003年 「萬緑」退会
2003年 「街」入会
現在 「街」同人、俳人協会会員

冒頭、今井主宰の「序」に圧倒された。
「季語の本意を俳句のテーマとすることを疑わない人。」 
(葱:??? どうかな、地球温暖化で季語の本意がずれ始めているし・・・)
「類型的発想にやすらぎを求める人。」 
(葱:それはいや!やすらぎと癒しはちょっと違う。予定調和は求めません。)
「滑稽、諧謔にダンディズムを感じる人。」
(葱:感じることあります。)
「俳句は書き記すものではなく詠ずるものだと信じている人。」
(葱:音はとても大切です。ただ、文字の「視覚性」の問題も大きい。)
「作者の『私』よりも優先させるものがあると信じる人。」
(葱:そんなものはないでしょう。例えば「自然」? 一体化することは奇跡的に起こるかもしれないけど、「優先」するのはおかしい。)
「自分の中に蓄積した修辞の技術を肯定的に捉える人。」 
(葱:まだ技術がないからなあ〜、資格もない。)
「人生を恥じることなく生きてきたと思う人。」
(葱:恥ぢの多い人生をおくっています。)

で、聖さん曰く『これらのすべての人にこの句集を薦めない。読んでも意味がない。季語、定型、情緒、テーマ、これまでの俳句のすべてを疑い、見直し、ひいては情況や自分自身にも懐疑の眼を向けるすべての人にこの句集を読んで欲しい。』

ありゃ〜、ビックッタア〜!! (@0@)
そう来ますか! さすがは当代一の俳句革新論者(?)である。
そして、おそらく小久保さんは、春風駘蕩、安穏とした「萬緑」同人の席を立ち、敢えて好漢「今井聖」のもとに飛び込んだのであろう。
キアラがフランチェスコのもとに駆け込んだように。

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句集「アングル」は「都市遠近」「臍」「綿虫空間」の3章から成り立っている。

●涅槃図へ地下のA6出口より
※「都市遠近」巻頭の一句。「涅槃図」とは釈尊の入滅の場面を図像化したもの。この地上は「涅槃図」なのか? 例えば新宿にしても梅田にしても大都会の中心では果たして此処が地上なのか地下なのよく分からなくなる事がある。地下鉄の階段を上り、A6出口より表に出る。世界とは「渾沌」の別名である。しかし、釈迦は入滅する末期の吐息でこう呟いたという。「この世界は美しい。」

●東京ドーム膨らみきってゐる春愁
※野球ファンでない人が見る「ドーム球場」とはいかなるものであろうか。柔らかくて巨大な亀の甲羅のようなものだろうか?「亀鳴いて」なにごともないようなのどかな顔をして、しかし現代人の「春愁ひ」はどんどん膨らんでいる。

●オキザリスまだ縦横に伸びる街
※どこまで森林や海を開拓すれば街は増殖することをやめるのだろう。簡便性や利益率やキャッチコピーばかりを追い求めるがゆえに「置き去り」にされた「本物」は急速に命を失ってゆく。

●売り家を囲む真昼のチューリップ
※西洋人は花が開き切ったチューリップを愛でるらしい。「蕾」であることを「チューリップ」だと思っている日本人とはその感性に大きな開きがある。「建て売り住宅」の匿名性にはすべての存在価値を稀薄にしてしまう怖さがひそんでいる。「透明な僕」がどんどん量産され、花開くことのない赤、白、黄色のチューリップとなって「金属バット」を握りしめる。

●雛展の一重瞼に眠くなる
今どきは「プチ整形」とかいって、気軽に美容整形をする人間が増えている。女性にとってはまあ、化粧の延長線上にあるのだろうが、英会話教師殺害事件の犯人のように、自分の過去(あるいは現実)を捏造するために整形する輩もいる。いろんな理由で整形をするのだろうが、果たしてそれが彼等の未来を開くことになるかどうかは、(その犯人の例でも分かるように)微妙なところである。西洋人から見た東洋人の神秘性や美に於いては「一重瞼」は重要なポイントである。品の良い女雛はきっと、山口小夜子のような顔をしているのだろう。彼女の顔を見つめれば、何か、暗示にかかったように眠くなるやもしれない。

●暖かし眉描かれし犬が来る
※昔、「ちびっこギャング」というアメリカのテレビドラマがあって、眉毛をマジックで描いた白黒の裸犬が出てきては画面上で悪戯をしまくっていた。白人の子も黒人の子も一緒になって暴れ回るドタバタ喜劇を見て笑っていると、日本の子供達も何か暖かい気持ちになったものである。いつも蝶ネクタイをしている「アルファルファ」君は口から泡を吹きながら歌を歌った。みんな覚えているかなあ〜?

●春眠とも違ひベンチに垂れてをり
※「垂れている」のはダリの懐中時計である。眠っているから垂れているのではありません。おそらく、多分、登校拒否の中学生かリストラされたサラリーマンか。

●春惜しむ名前に鳥の付く人と
※鳥山さん、鳥居さん、あるいは鳴戸さん、鴨下さん、鶴田さん。

●春の港浮雲と我を積み残し
※芭蕉のように、または西行や李白や山頭火や、金子光晴、藤原新也、沢木耕太郎の名前を出すまでもなく、旅心はすべての詩人の魂に宿っているものと思われます。

●梅雨の廊画布の数だけ裸婦の数
※これは滑稽、諧謔のダンディズムではないですか?今井さん。

●点滅の蛍や地球の待ち時間
※臨界点が近づいています。

●弁当だけ乗せるタクシー夏燕
※営業車の持てない「弁当屋」、これも現代の縮図であります。

●足開くプリマ涼しき角度まで
※一流の肉体が持つ機能性は涼しさを感じさせるぐらい美しい。

●舟遊び殺すなとTシャツにあり
※“NEVER KILL IT!” or “PLEASE DON'T KILL ME.”

●多摩川の匂ひしている昼寝人
※「昼寝の國のひと」を思い出しました。

●蹲る物体片蔭よりも濃し
※壁に貼ついて動けないほどの失望とは一体どんなものなんだろう。ロ−リング・ストーンズはそれを黒く塗りつぶした。

●黒蟻の集まってきて鬱の字に
※一列に並んで行進している蟻ならば「躁」、統制のとれていない無秩序の様相が「鬱」。

●東京を踏む三歳の祭足袋
※「足袋」は「靴」とちがって直に地面を感じる。その三歳の男の子が踏んだ東京がアスファルトではなく、土でありますように。

●赤蜻蛉抓みし指の骨密度
※こうしてパソコンのキーボードを叩いていると、右手人指し指、中指の骨密度に不安を感じます。血のめぐりもわるいのか、両手親指も先から徐々に角質化していっているような・・・。自分の体が徐々に自分から失われていることが分かります。

●秋の風耳のかたちを占はる
※その占師はいい加減な男である可能性が高いと思われます。別れたほうが良いかもしれません。

●木枯の始まりはこの吐息なる
※「息白したちまちにして空也なり 葱」、クウ、ナリ。

●マフラーも横須賀の灯も塩辛し
※涙をたっぷりと吸い込んだマフラーなのでしょう。いくら洗濯してもその塩辛さは変わりません、横須賀の灯は海の風を含んでしっとりと濡れています。

●作品のやうな嫗の日向ぼこ
※上村松園を描いた掛け軸を思い起こしました。あれは自画像だったか、それとも息子が描いたものだったか、それとも上村松園が描いた「嫗図」だったか???。

●除夜の鐘一音一音に行方
※百八つあるという煩悩の数ですが、四苦が4×9=36で八苦が8×9=72、四苦八苦で36+72=108という日本的語呂合わせのようです。 実際の四苦は人間が避けることの出来ない「生・老・病・死」の苦しみ、残りの四苦は「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」。愛別離苦は愛する者・物と別れなければならない苦しみ、怨憎会苦は嫌な者・事と出会わなければならない苦しみ、求不得苦は欲しい者・物が手に入らない苦しみ、五陰盛苦は性欲などの本能に原因する苦しみをいいます。それぞれに来し方行く末があります。

●毛皮着て東京タワーより寂し
※小久保さんの句に現われる「東京」は寂しい。東京ドームも東京タワーも地下鉄も。しかし、だからと言って小久保さんが東京や横須賀から遠く離れてもっと自然のある田舎に移り住むことはないような気がする。小久保さんは寂しくてもしっかりと毛皮のコートにくるまって東京の冬をやりすごす。あるいは見極める。彼女が見極める東京は彼女の内実を明らかにする手がかりとなるに違いない。寂しさ、空しさ、愛おしさはアングルによってその風景を変えるようである。アングルによって東京タワーが愛おしさを増すように。

●雛出すや包帯を解く手付して
※「ものにはひとがこもる」と藤原新也は言った。包帯を解くと言うのなら、その雛人形は深く傷付いていたのかもしれない。しかしその傷もやがては年月が血を止め、亀裂を塞ぎ、肉を盛り上げてくれるだろう。たとえ傷痕が残っているとしても、優しく撫でることによって、それは新しい形の自己愛を育んでくれるだろう。

●朝桜海一枚が遺書に似る
※海が生物の故郷であるならば、海はすべての命を受け止めてくれるに違いない。海の底には「神の花」が咲いていると沖縄の人は歌う。沖縄の墓は大きくて気持ちが良い。その前で、皆が弁当を持ち寄って酒を呑むのもいい。そのまま暖かい海の中に入って行くのも悪くない。

●笑はない母としりとりして暮春
※さくら、らくだ、だるま、まいご、ごまめ、めんこ、こども、もしも、もういいかい、もうやめよう。

●桃ひとつ御霊のごとく運ばるる
※落としたり、強く握ったりするとすぐに腐ってしまいます。桃のかたちは心のかたち。

●毛糸編む今が一目となり残る
※「母と娘と∞を巻いて毛糸玉  葱」 時間とは不思議なもの、一瞬もあれば無限もある。けれども「今」だけが捕まえられません。合わせ鏡の隙間のようです。

●真円にならむと孔雀春深む
※円月殺法の眠狂四郎は孔雀の化身かもしれません。それで女性もイチコロになる。

●アングルを変へても墓と菜の花と
※墓が菜の花とはならないように死と生はぴったりと重なることがないのでしょうか。アングルを変えても???

●菫まで神父の長身二つ折り
※「冬菫」まで戻った俳人もいれば、その長身を折り曲げた神父もいます。だから俳句は面白い。

小久保さんには大変失礼なことをしているような気がします。
これは鑑賞とか、感想とかいった種類の文章ではありません。
ごめんなさい。
私ははじめてnemurinnさんにコメントをした時、間違えて“nemurinn”さんではなく、“neruminn”さんと書いてしまいました。
「眠りん」ではなく「寝る眠」です。なんでも二乗してしまうのが私の悪い癖です。
いつでもそれで二六齋宗匠に怒られています。
さて、宗匠は“nemurinn”さんの句をどう思ったでしょう?
実を言えば「小久保さんの句を宗匠に紹介したい!!」というのが今回の「葱々」の発端でした。
おふたりに幸せな出会いが訪れますように・・・。

●桃の酒盗みてわれを盗まざる  葱男