*丘ふみ俳句:協調精神派(前鰤篇)=葱男


*前鰤(葱10選)

●恋、してる? して欲しいよな 親心
●アレ何語?聖なる夜の”SHU・WA・KI・MA・SE・RI”
●たまらんぞ てのひらを蚊に喰われけり
●虫の音を止めて我が家の門を開け
●跳ね踊り喰われろ加賀のしらうおや
●猫柳ボロセーターではしゃいだ日
●ポンコツの身にふりつもる粉雪かな
●淡雪や路上駐車の証拠あり
●外灯に螢を演ず草の露
●にぎりめし正午の空の高きこと

●梅雨曇り第一に入る覚悟かな=前鰤(「丘ふみ游俳倶楽部*第95号」投句)
先月、前鰤さんは出張を命ぜられて「福島第一原発」に入ったそうである。
いろんな「計器」を扱う会社の技術部に勤める関係でそういう仕事が入ったのだろう。前鰤さんからのメールにはこう書いてあった。
「福島第一原発、行ってきました。入構したのはほんの3時間程度だったのですが、まあ大変でした。また、報告します。」
なんでも、「お前が一番歳を食っているからお前行け!」みたいな無茶ぶりがあったと言う。勿論、それは冗談めかした話だとしても、なんとも言えない中年サラリーマンのペーソスを感じさせる彼一流の逸話であった。

数年前、前鰤さんは大きな心臓のバイパス手術をしていて、奇跡的に一命をとりとめたのだが、いまでも心臓には4本の金属製の管が入っている。それでも元気で、「喉元過ぎればなんとやら」で、毎回の「関西一杯呑もう会」には必ず顔を見せてぐびぐびと大好きなビールを飲んでいる。
人付き合いの良さは友人達の中でも群を抜いていて、そんな「人の良さ」と「社交的な性格」のせいで、相当に無理な仕事も断りきれずに上司からの命令とあらば全部請け負ってしまうのが彼ではないか、と想像している。

仕事が忙しすぎるということもあるのだろう、「丘ふみ倶楽部」でも一番投句数の少ないのが彼で、毎月、1句か2句、ときどきお休みもあるけど、それでも途切れることなく創刊第2号から参加してくれるのは彼一流の、とびっきりの「付き合いの良さ」をあらわしている。 つまり、前鰤さんの俳句はそんな彼の人柄をそのままあらわすような、定年を間近にひかえた中年サラリーマンの、ペーソスに満ちた日常をそのまま写す、愛すべき「月並み俳句」なのである。

●クリスマス?クルシミマスと聞こえけり
●持ち越すやアナログ頭の年忘れ
●生ジョッキ顰めっ面の笑顔かな
●老いて今 八割過去の初冬かな
●富士山を探す車窓の夏霞
●長き夜の物語かなこの想い
●秋の夜や子の寝床にて読む童話
●手探りでたぐる布団や終わる夏
●迎え方人それぞれに正の月
●若葉萌え世に戻されし命かな
●君ですか はぐれ螢のまたひとつ
●幸せか大つごもりの蕎麦に問ふ

私は前鰤さんの詠む俳句が好きだ。そこにはなんの技巧も衒いも装飾もないが、その17文字には日々を精一杯生きている、生身の彼の偽らざる心情が素直に吐露されているからだ。
「俳句倶楽部」に入ってもう8年にもなるが、おそらく前鰤さんの「俳句歳時記」はほとんど開かれたことがないのではないか。仕事のこと、家庭のこと、自分の健康のこと、好きなお酒やゴルフの付き合いで、彼の「俳句」に振り当てられる時間はごくごく限られている。
私達昭和27年組は今年還暦を迎え、多くの同級生は定年退職で「第二の人生」を始めることになる。これまで、馬車馬のように一生懸命に働いてきた前鰤さんにはどんなセカンドライフが待ち受けているだろう。なにも「俳句」に多くの時間を割いてくれ!などと懇願するつもりはない。ただ、同じ大酒飲みの同級生として、これからも長く付き合ってほしいと願っている。とりあえず「丘ふみ倶楽部」は退部届だけは無しで、何か言いたい事、表現したいことがあった時は大いに「無法投区」の場所を使ってください。

前鰤さん、「福島第1原発」入構、ご苦労様でした。