*丘ふみ俳句:俳精神派(五六二三斎篇)=葱男


*五六二三斎(葱10選)

●雨止みて水仙の息聞こえたり
●国蝶やとりて天下の夏を知る
●母唱う我は海の子遠き夏
●海刻む父の戒名終戦日
●団塊の奪ひしトライ寒の水
●母逝きし背面跳の空高し
●師にありぬ漢一文字冬構へ
●同心の恋生まれ消え水馬
●白湯を取る四十七士の息白し
●一石は一人一年n蔵盆

五六二三斎さんの体の中には祖父「原牛眠」さんと父「原俊之」さんの、ふたりの俳人の血が流れている。
その遺伝子のなせるわざなのか、五六二三斎さんの俳句には古き、良き、懐かしき俳句の香りがする。「俳句バンカラ」とでも呼びたくなるような古き、良き、懐かしき時代の風が吹いている。
「俳句」という表現形式が持つ大きな特徴にはひとつ、このような「ヴィンテージ」志向があるように思う。新しきものよりは古きもの、不良性よりは倫理性、目新しいものよりは使い慣れたものに重きをおく傾向がある。そもそも多くの結社の主宰が俳句表現に「旧仮名遣い」遵守を奨励していることからもそれは自明のことである。
懐古趣味や歴史的なロマンは多くの俳句愛好者に共通のものであり、一方ではまさにそのことが若い世代から「俳句」を遠ざける要因(それは俳句に対する偏見的なイメージであり、誤解なのだが)となっているのかもしれない。
なにはともあれ、懐古趣味や歴史浪漫は俳句表現のひとつの骨法には違いない。少なくともわれわれ中高年は、時代を懐古することによって心を癒している。「何をもって癒されるのか」という問題を解くのに、老若男女のストレスの違いを検証してみるのも面白い試みだろう。

では五六二三斎さんの句に通底している「懐旧的俳句のこころ」を取り上げてみましょう。

●春時雨出会いの橋の別れかな
●海坊主恐れし子等や島の盆
●遺伝子に玉音の声蓮の花
●一口で江戸頬張りぬ月の秋
●四時間の歴史の秋や国家あり
●傷つけしちゃんばらごっこ寒鴉
●ナミダ君ふと呟きておぼろ月
●初夏の風畳の上に母の椅子
●麦笛や父に聞きたきことのあり
●Tシャツの中に青春麦の秋
●片隅に幼き日あり水仙花
●寄鍋の五十少年漂流記
●藤棚は覚えているよハーモニカ
●初秋の山は幾重に子守唄
●神棚の三つある家冬ぬくし
●街路樹の落葉やガロのしやがれ声

次ぎに五六二三斎さんの句における「大学の先生」としての一面を見てみることにしましょう。
五六二三斎さんは博多市内にある、前身は女子大学であった名門「中村学園大学」の生物学の教授をされています。私が学生だった頃、九大教養部とこの「中村学園」はすぐ近くにあり、70年繧フあのむさ苦しい九大生がたむろしていた六本松、別府橋界隈にあって、とても華やかな女子大生の姿は男子学生達の花でありました。
いまでもそんな、清楚で華やかで楽しそうな雰囲気がキャンパスには満ちているのでしょう、原教授の目には、校内の若く瑞々しい女生徒たちの様子が生き生きとして映し出されています。

●立ち漕ぎの少女三人夏の朝
●藤の花留学生の夕餉時
●小説の匂ひかすかに夕立風
●白球の音に誘われ燕来る
●人生のマークシートや悴む手
●空蝉を付けるはつらつ女学生
●洋館の色よりも濃し桃の花

いつも若い女性達に囲まれている教授の感性は彼女たちと同じ透明な清潔感に溢れているようです、あ〜羨ましい〜。

●月が食う日が食う夢の一夜かな
●麓より雨脚来たり合歓の花
●からくりの人形笑ひ山澄みぬ
●朝寒や松葉箒のクレシェント
●三才の落書きの汽車日脚伸ぶ
●ふらここや天上によき風ありぬ
●琉球の空開けたり夏料理
●いぬふぐり双ツ耳もつ由布の峰
●観音の千手より散る紅葉かな
●故郷と同じたんぽぽ江東区
●卯の花や魔法のやうに雨上がる