*大震災を詠む=葱男

〜おもひではさらはれずあり花筏〜


俳句総合誌の今月号(5月号)は月刊「俳句」も「俳句界」もこぞって震災の句の特集を組んだ。

現代を生きる気鋭の俳人たちが今、この時に起こった出来事をいかに詠んだのか、その記録を残すことは2011年の俳壇にとって、とても大きな意味があることだと思う。
おそらく、原稿依頼されて、とまどった俳人、依頼を断った俳人もたくさんいただろうと推測する。
被災当事者でないかぎり、市井の一個人としてこのたびの大震災の句を詠むことはかなりむずかしいことだろう。原稿料を受け取って、みずからの責任を背負って、文学としてを一心に表現した十七文字は大変に重たいものである。しかし、現実として総合俳句誌の紙上に、しっかりと遺された現代を生きる俳人たちの17文字は、否応もなく今の俳句の文学性を顕現していることになる。
表現者にはどんな言い訳もできない、それゆえに、かれらの勇気と意志には存分の敬意を表したい。
この未曽有の災害に対して俳人のできることは、俳句を詠む、ただそれだけである。

今、手元にある「俳句界」5月号には実に70名の有名な俳人が「緊急特集3・11 大震災を詠む」に寄稿してそれぞれが3句づつを詠んでいる。
句の善し悪しを判断することは今はできない。それを判断するのはおそらく何年か先のことになるだろう。
しかし、俳句を志すものが一番大切にしなければならない命題は「今、この瞬間を詠む」、そうであることは間違いない。

「丘ふみ」5月号では私個人の独断と偏見で、いくつかの「震災追悼句」を紹介してこの2011年に起こった大震災を紙上に留めようと思う。

春の闇避難所の灯の灯りたる  (大串 章)
逝きし子の卒業証書父が受く  (大串 章)
竜天に登り原子炉睨みけり  (大串 章)
母を探せし少女の声や春無惨  (大巻 広)
死者の眼の数かぐりなし花の昼  (小澤 實)
余寒余震花壇に刺さる欠け瓦  (落合水尾)
いのち惜しめとゴッホの黄花菜の黄  (加藤耕子)
犬猫見えず人の真顔の重なる悲  (金子兜太)
それでも微笑む被災の人たちに飛雪  (金子兜太)
天心に彼岸満月生者死者  (黒田杏子)
無音界朧満月瓦礫界  (黒田杏子)
大震災山河にのぼる春の月  (酒井弘司)
春寒し海を見ている震災後  (酒井弘司)
白木蓮燭となりけり罹災以後  (佐藤麻績)
ただ命一つ残りて春の月  (佐藤麻績)
あせるまじ蝶小さかり飛びゐたり  (佐藤麻績)
コップにアネモネ余震・余震・余震  (鈴木鷹夫)
寸前に死のそよぎゐこともなし  (筑紫磐井)
   水飲んで死する者・生きる者 何が違ふ  (筑紫磐井)
無音無臭で事故の続くといふニュース  (筑紫磐井)
被災者や火のなきストーブただ囲む  (奈良文夫)
ただただ命春寒の地震に遭う  (橋爪鶴麿)
胸打つや毛布一枚分け合うて  (藤木倶子)
春霞破船等すさむ貌晒し  (藤木倶子)
しだらでん母と摘み置く菫さへ  (坊城俊樹)
また再建しませう爺の言葉のあたたかし  (坊城俊樹)
炎上げ流れる家や原発忌  (山崎十生)
春泥の一面つづき津波あと  (赤尾恵以)
救済の言葉激しく風花す  (赤尾恵以)
死が遥か波の彼方にある哀しみ  (伊藤完吾)
地震の子の卒業式の写真かな  (大坪景章)
津波ありヨゼフの月の尽きむとす  (岡崎光魚)
闇来るな雪風来るな被災地へ  (河野 薫)
「タスケテクレ」股間あらわに女坐す  (田中 陽)
科学無残ぼくに曾孫が生まれている  (田中 陽)
「この国を守る」と冬の自衛隊  (長島衣伊子)
生き残る人の囲める大焚火  (長島衣伊子)
避難所の校舎に卒業証書受く  (長島衣伊子)
はるれんのゆらぎてひらきゐし余震  (中戸川朝人)
春の雪消ゆる祈りの手に触れて  (中村正幸)
春泥に黙深くあり息一つ  (中村正幸)
春耕を待つ土なりき水漬きけり  (名和未知男)
どこもかも揺れ果て吾らしやがみこむ  (山口 剛)
人ら走り津波は街をさかのぼる   (山口 剛)
落椿まなかに馬頭観世音  (高尾早弓)

●汚されし水汚されし空残花  葱男



■葱々集〈back number〉
「遊戯の家」金原まさ子さらば八月のうた「ハミング」月野ぽぽな「花心」畑 洋子1Q84〜1X84「アングル」小久保佳世子ラスカルさんのメルヘン俳句「神楽岡」徳永真弓「瞬く」森賀まり『1Q84』にまつわる出来事「街」と今井聖「夜の雲」浅井慎平澄子/晶子論「雪月」満田春日 「現代俳句の海図」を読む:正木ゆう子篇 櫂未知子篇田中裕明篇片山由美子篇「伊月集」夏井いつき「あちこち草紙」土肥あき子「冬の智慧」齋藤愼爾「命の一句」石寒太「粛祭返歌」柿本多映「身世打鈴」カン・キドンソネット:葱男俳句の幻想丘ふみ倶楽部/お誕生日句と花