*俳句の幻想

〜聖母月猫のあくびに吸い込まる〜


夏目漱石は俳句についての定義と記して『俳句は修辞を煎じつめたもので,扇の要のように集中点を指摘し,描写して,それから放散する連想の世界を暗示するものである。』という一文を書いている。

今回は二六斎宗匠が送って下さった資料から(「俳句空間」1990年6月号),「俳句の幻想,もしくは幻想する俳句」という,阿部完一と夏石番矢の対談から面白いと思った箇所を抜粋,紹介してみたい。

その前に一言,一般の芸術に対する東西のあり方の相違について敢えて極論するなら,西洋の芸術はより個性的,個人的であり,それは神と人との対峙の中ですべてが完結する。その創造作品の,他人に対する伝達と共鳴は副次的なものであって芸術家本人にとっては非本質的なものにすぎない。これに対して日本の芸術作品は一種の社交技術としての性格が極めて濃厚であり,作品自体にも増して,他人がそれを如何に評価するかという,鑑賞(○○好み)こそがもっとも重大なもののようである。 この事が以下の俳句談義の根底にあると思うのですが,如何でしょうか?

************************************

阿:(略)だから,ピシッと切れなくてはいかん(俳句は)。それから,次(未現の七・七)を呼ぶものでなければいけない,ということとして,私は俳句の形を考えている。(中略)次を呼び込むということは,俳句そのものの大きな性格のひとつとして,幻性というのがある。これが和歌,短歌の場合には,全部言い切ってしまって,そのあと共感するかどうかということなんですね。俳句っていうのは,共感じゃなくて,自分でくっ付けてあるものですから,このことを言い直せば,俳句というのは方向を示すだけだ。
(略)ですから俳句の場合でいうと,実体を掴んでね,それをキチンと書きなさいという,これを写生といっているんだと思うんですが,私に言わせると,実体の中から出てくる現(うつつ)性を把握するのが少なくとも私の俳句だし,また一般的にいって,それが俳句にならなければならない。ですから,俳句というのは,季語があるとかないとかいうんじゃなくて,この現性というのか,幻性というのか,これが一緒になったもの。
夏:最初の,俳句そのものが次を呼び込む,派生的には七・七かも知れないけども,現代俳句でいうと,五・七・五以降に,小説が来てもいいし・・・。

阿:そうそう,その通りだと思います。五・七・五を詠んで方向を示す,そしてそれを受け取った人間が,そこで音楽をもってもいい,もちろん詩,小説でもいい。
夏:(略)私は『現代俳句キーワード辞典』という本を出して,ほぼ近代俳句をザーッと見ていって,虚子というのは,全然たいしたことないじゃないか。むしろ,近代俳句のなかでも現代につながる人というのは,川端茅舎とか飯田蛇笏だと思います。(中略)蛇笏や茅舎には,ヨーロッパ的な死神とか,聖書などが包括されてあり,現在の水で薄めたような,幻想すら生まないような句よりも,ずっと,もっともっと作品世界が拡がる,それこそ次を喚び込む。(中略)今の俳句のもっとも薄められた幻想,繰り返されている幻想,消費しつくされた幻想は何かというと,国誉めなんだと思う。(中略)例えば「遠山に日の当たりたる枯野かな」というのは,箱庭的な日本の快さ,地形を誉める。
阿:(略)林桂さんが「鶏頭論」書いたでしょう。非常に丹念に材料を集めて書いている。あの時,子規とか,虚子とか,十数名集まって,鶏頭を席題にしてやっているんだけど,読むと,あの「鶏頭の十四五本もありぬべし」だけが分からない。(後略)

夏:その鶏頭の句は謎だったんですね。

阿:謎々ですよ。だから謎というのはようするに,ひとつの幻性だと思うんですよ。(中略)俳句は言葉では最後まで解釈できないんですね。

阿:(略)現代人というのは,私に言わせると,近代俳句という一つの金字塔,大きな山を越えたと同時に,非常にわけの分からないところへ出ちゃった。(後略)

夏:そうですね。近代俳句の基本的な概念は写生でしょ。写生というのは,日本の文化,歴史でいうと傍流の価値観でしかない。むしろ日本の絵とか物語,源氏物語にしても,和歌だってそうだし,夢うつつの感じ,むしろ写実性というのは劣っているんですね。夢か現か分からない。得体の知れないものが日本文化の特質かも知れないし,そこを近代俳句という妄想,あるいは写生という妄想によって落としてしまったんでしょうね。

阿:私はね,写生についてよく言われることなんだけれども,生を写す,〜(中略)〜生命なんか写ってないですよ。いわゆる写生というのはね。それじゃ写真だ,私は本当の写実なら実(じつ)の中から,生(なま)な生命を救い出さなきゃ,写実を言っちゃいけないと思うのに,〜(中略)〜本当の写生とか写実というのはその(形,色,匂い,位置,背景)向こうにあるものですよ。

************************************

阿部完一:池田澄子が四十代になってから,初めて俳句に可能性を見つけだすきっかけを作った人間探究派の俳人であり精神科医。
【代表句】
●絵本もやしてどんどんこちら明るくする
●ローソクもってみんなはなれてゆきむほん
●すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる

夏石番矢:言はずと知れた現代俳句界の先鋭,明治大学の比較文学教授。
【代表句】
●山嶺に弓なりの木木 栄光(ぐらうりあ)!
●満月や深窓に佇つ一天使(なついしばんや)
●千年の留守に瀑布を掛けておく