*丘ふみ俳句:行楽精神派(メゴチ篇)=葱男


*メゴチ(葱10選)

●緑濃く柳と柳ゆれていて
●釣り船や濡れて嬉しい夏の雨
●ドライバー春一番でファァーッ
●薔薇園の匂ひに咽ぶ雨あがり
●キス釣りの船に上がりし黄金色
●行く春にBB弾を投げてみる
●風船を喜ぶ孫の頬ありて
●龍馬伝静かに散りし冬紅葉
●コート脇行き交ふ球や日脚伸ぶ
●大寒を割りて打ち込む竹刀かな

メゴチさんの句はメゴチさんの日常の日記のようなものかもしれない。
それも仕事以外のプライベートな自由時間を楽しんでいる時のが句の題材になることが多い。
たとえば、「釣り」や「テニス」の句があればそれはほとんど間違いなくメゴチさんの作だと思う。
普通、俳句を詠んでみようか、などと思う人間は大抵心のどこかの隅に「文学的なるもの」を隠して抱え込んでいるものだが、健康的で明るい太陽のもとで(還暦を迎えようとする御年にもかかわらず)元気に遊んでいる風景がメゴチさんには一番良く似合う。
人生の余暇の部分をうまく愉しむ才能が彼には備わっているのだろう。
おそらく彼は相当に多趣味な、快活で人づきあいの良い、同性からも異性からも好かれる人間ではなかろうか、と想像している。いわゆるシリアスな人生よりも「洒落ていて軽味のある生活」を重んじる性格なのかもしれない。

顰蹙ものの無責任な人間観察はこれぐらいにして、さて、メゴチさんの俳句について思うことを少し話してみよう。
それはいわゆる「定点観測」にも似た、彼の俳句のモチーフについてである。
2006年の夏に入部した彼の句歴は早いものでもう6年。
その6年間に同じ題材を詠んだ句がいくつかあることに気が付いた。
それは「釣り」でも「テニス」でもなく「芝桜」の句であった。そのほかにも、メゴチさん毎年のように「べったら市」や「酉の市」の句を詠んでいる。 「定点観測」は日常生活の楽しみの再確認、再認識のような役目をもっているのだろう。(定点観測のことを言えば、砂太先生の「能古」「都府楼趾」や喋九厘さんの「宝満山」「太宰府」などもすぐに思い浮かびます。)

芝桜小さき庭で主役張る
芝桜陽射し集めて庭の隅
芝桜人の流れも名所なり
芝桜紅白の先に妻の顔
芝桜隠れた名所庭の隅
芝桜そばに良妻花散歩

芝桜の背景にいつも「妻の顔」が垣間見えるところがメゴチさんの人柄をあらわしているのではなかろうか。「愛妻家俳句」など、もっとたくさん詠んでみれが、もしかしたらメゴチ俳句の新境地が見えてくるかも知れない。^^;

最後にもうひとつ。

●とふとふと川面面映かとふとふと
(回文:とふとふとかはもおもはかとふとふと)
●桃の果が桃色芋も画家の桃
(回文:もものかがももいろいももがかのもも)

メゴチさんにはいくつか回文の五、七、五があるが、一番面白かった「ねこの子」の句が、これが資料のどこを探しても見つからない。 あれはどんな句でしたっけ???
と、、後日、資料官さんから資料提供がありました! さすが!

丘ふみ游俳倶楽部*第二十号・4月号(平成18年4月7日)
三席
●猫の子ね 春見て見るは 猫の子ね=メゴチ
◎ア△月,五,喋,夏,里,資,ス,二=11点
(メ:回文にしてみました。 ア:心地よい響きがすーーっと心に入ってきました。 月:回文の楽しさと,猫の可愛さがよくマッチしてます。春やし・・・。 五:回文俳句というだけでなく,句の出来佳! 夏:回文にビックリ。面白い。 資:努力賞。歴史に残す。 ス:俳味はさておいて面白いので。)

季重なりではありますが、のどかな春にふさわしい句ですね。
ちなみに私が最近つくった回文には
●神無月談志が死んだ傷なんか
最高傑作に紹介したいのは「めじろ遊俳クラブ」の風悟さんの作で
●遠のきつふとニ胡に筒ふ月の音