*丘ふみ俳句:工芸精神派=葱男


前回、「丘ふみ俳句:工芸精神派」には君不去さんと夏海さんの名を上げていたのですが、直感というのは当てにならないもので(私だけのことかもしれませんが)今回、ふたりの俳句を検証してみて、君不去さんの俳句は「工芸精神」ではなく、典型的な「俳精神」のものであることが分りました。
では、何が「「工芸精神」で何が「俳精神」のものであるのか?
一番分かりやすい例として、ここでは君不去さんと夏海さんのふたりの俳句を並べて、比較してみることにします。

みなさんもご存知のように、俳句のスタイルには大きく分けるとふたつの形式があります。
それは一句一章の構造のものと、二句一章のものです。
一句一章の句は、句の中に断切(休止、切れ)のないもの。言い換えれば同一空間(場面)の中の物や事柄を描写した句のことを言います。
たとえば、飯田蛇笏の句。
●くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 
実に直載で簡明な写生の句です。くろがねは鉄、その鉄の風鈴が鳴ったというただそれだけのこと。しかし、夏の音色とはちがって、秋の風鈴には季節の奥底に冷ややかな風情が感じられます。
つづいて二句一章の句。
●降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男
一句の途中に確かな断切(休止、切れ)があります。
「雪」と「明治という時代」のふたつの言葉がぶつかることによって、作者の脳内には現実を越えて象徴的な観念の世界が生まれます。
一方が現実の自然現象を言い表わすのだとすれば、二句一章の句は人間の頭の中に仮想世界の風景を映し出します。
美術に喩えるなら、一句一章は風景画や人物画のようなもの、二句一章はコラージュや抽象画のようなものだと言えるでしょう。

ピサロやシスレーの描く自然の風景とダリやシャガ−ルの心象風景を見比べてみるとその違いがよく分るでしょう。ミロやクレーに見られる抽象画の方向もあります。一方が写生を基軸に据えているのに対して、一方は複数の素材の取り合わせ、配合、コラージュの技法です。

およそ、芸事や習い事の修行の背景には松尾芭蕉が体得した「不易流行」という概念があります。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であるというものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。
これを一句一章と、二句一章の俳句に置き換えてみることも可能でしょう。
一句一章の「俳精神」には不変の真理が具え持つ「深み」があり、二句一章の「工芸精神」には社会や状況の変化を巧みに映し出す魅力的な「デザイン性」があります。

以上のことをふまえて、君不去さんと夏海さんの葱選10句を見てみることにしましょう。

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■君不去(葱選10句)

彼岸花 意に添わぬげに 群れてをり
赤き実を ひとつ残して 行く秋や
子ら行きて一人あたたむ春炬燵
春の海ポコンと月ののぼりけり
忘れられ月とおはする馬頭仏
行く春のぬるき吐息や恋の人
花弁落ちさざんかの蕊花となる
蟷螂の子蟷螂のまま生れにけり
こくこくと乳吸ふ赤子汗ばみて
大地よりきりりと離るる赤カンナ

おそらく君不去さんの句の99%が「一物仕立て」の写生句です。自然や人物を見る眼にはいつも「優しさ」が宿っています。
とくに家族への暖かい慈愛のまなざしがそのまま結実した俳句が多く見られます。上記10選のほかにも。

もみじもみじ天まで伸ばせ幼き手
これやこの風に乗れかし巣立ち鳥
小春日や子に叱られて心地よし
おまえさんなんてささやいてみる弥生
長廊下義母の手引きぬ秋彼岸
日向ぼこ互ひの想ひ異なれど
素っ気無き子の声今日も冬菜炊く
「道程」を学びし丘や若葉風

良き母であり、良き妻、良き嫁である彼女の姿がそのまま「君不去」という俳号には示されています。

ちなみに「君不去」という言葉の由来は、古代日本神話の中で、倭建命が詠んだ次のような和歌にまつわるものです。
『倭建命の東国征伐のこと。船で上総国に渡ろうとした時に一行は海上で嵐に襲われる。そして倭建命の妻、弟橘姫は海に身を投じることで嵐を静めようとする。弟橘姫の祈りが通じたのか嵐が収まり一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地に暫らく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。 君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき』

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それでは本題の「工芸精神派」に戻って、「取り合わせ、配合」の達人である夏海さんの句から10句を選んでみます。

■夏海(葱選10句)

月の夜へ昇るシースルー・エレベーター
語りぐさ身丈に余る鯨銛
老い見せぬタップ・ダンスや桃の酒
原罪などしらぬ香水瓶の色絵
ほすぴすのろびーのぴあの秋の薔薇
立ち止まる春をはげましポン菓子屋
夏休みの生きもの係大人びて
ひぐらしへ葉書一枚出しに行く
脈診の三十秒をきりぎりす
名人の手のひら厚し茸を狩る

ここに取り上げた夏海さんの句の秀逸なところは、モチーフの核をなす二つの言葉が不思議な関連性を貫いているところです。
これらの句は「二句一章」のもつ心象世界の中にありながらも、スタイルとしては見事に「一句一章」の形を貫いていることです。 「シースルー・エレベーター」は月にまで登ってゆくし、タップダンスの老人は「桃の酒」を飲んでいる。葉書を出しに外へ出ると、「ひぐらし」が鳴いているし、「脈診」を受けている間中、窓のそとには「きりぎりす」がいて、茸採りの名人の手のひらはとても厚い。
「見立て」の手法と言ってもいいのですが、このような、奇跡的に二物を結合させる手法において、夏海さんには天才的な感覚がそなわっているようです。
10選のほかにも、たとえば以下のような工芸性の高い俳句が軒並みです。

宇宙塵泊まるや菱の実の尖
朝顔の仮屋に点つる男の茶
玄冬のその眼笑はぬチャップリン
夕涼や尾曲り猫の港町
村里は饅頭(まんとう)色に棉吹きぬ
缶けりのコンと山茶花こぼしけり
さくら湯のほどけるやうに万華鏡
芍薬の一篭深呼吸一つ
面接はカフェの片すみアマリリス
憂の字のならんで烏瓜の花

「二物衝撃」の句には上記のような「工芸性」「デザイン性」の高い「見立て」の句ばかりではなく、一句のなかに大きな断絶(切れ)のある、二つの異なった世界が互いに共振するような構造のものがあります。
夏海さんの作品の中からそのような基本的な構図を持つ「二句一章」の句を上げてみましょう。

神渡しウォークマン耳に力士来る
ミモザ咲くキリンの舌の太きこと
遍路道振り子時計の指す余白
花の雨くるくる返す焼おにぎり
六の字は雨だれ形や桜桃忌
じゃんけんは国々に有りラ・フランス
囀りや色えんぴつの五百色
春愁にロボット犬とカメレオン
獣角のボタン大ぶり山眠る
風紋は恋文に似て春の蝉

「見立て」にしても「コラージュ」にしても、彼女が持っている言葉にかかわる企画、構成能力には抜群のものがあります。
これだけ高い現代性とデザイン性を秘めた俳句は、「現代俳壇」を広く眺めまわしてみてもそう容易く見つかるものではありません。
いつか夏海さんが大きな「俳句賞」を獲得して、「丘ふみ」の名前をひろく世の中に知らしめてくれるものと期待して止みません。 引っ込み思案の夏海さん、頑張ってください! グラン ジュテ!

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最後に、僭越ではありますが、「丘ふみ俳句」のもうひとりの「工芸精神派」、葱男さんの自選10句もここに付記させていただきたいと思います。
自分の句に対する論評はひかえさせていただきますので御容赦を。m(__)m

■葱男(近作10句)

キユーピーのまばたきもせで春を待つ
白式部うたがひもなく母子感染
玉子酒舐めて孤独ぢやない感じ
木の葉のしぐれ左手のピアニスト
開くたび淑気を放つランドセル
微熱もて遠足の朝明けにけり
後の雛アリスは深き穴に落つ
血に依らず父娘となりぬ実紫
芋名月血統を継ぐ黒毛なり
六感はこめかみにあり月夜茸