*利普苑るな・第一句集「舵」=葱男


 
利普苑るなさんはネット上で知り合ったラスカルさんのお友達の女性の俳人さんです。
俳号は「利普苑るな」、「るな」は月のことだと想像がつきますが「利普苑」とは一体どんな由来なのだろうか、お聞きしてみると。

『ベルタ・ヘレーネ・アマーリエ・リーフェンシュタール(独: Berta Helene Amalie Riefenstahl、1902年8月22日 - 2003年9月8日)は、ドイツの映画監督、写真家。世界最年長のスクーバダイバーでもあった。近年ではレニを「レーニ」と表記される例も見られる。
国家社会主義ドイツ労働者党政権下のドイツで製作された映画作品、とりわけベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』と1934年のナチス党大会の記録映画『意志の勝利』が、ナチによる独裁を正当化し、国威を発揚させるプロパガンダ映画として機能したという理由から、「ナチスの協力者」として批判され、戦後長らく黙殺された。
1970年代以降、アフリカのヌバ族を撮影した写真集と水中撮影写真集の作品で戦前の映画作品も含めて再評価の動きも強まったが、ナチス協力者のイメージは最後まで払拭できなかった。』

リーフェンシュタールがその俳号の由来だそうです。
どうやらるなさんも信念の人、志の人、強い女性かな?

おそらく私の想像は当たらずとも遠からじ、だと思います。
彼女は半年ほど前にご自分が肺癌であることを公にカミングアウトされました。
とても勇気のある女性です。
今は容態も順調に推移しているそうで、句会や吟行にも復帰されたご様子、大好きなワインも少し嗜むことができるまでに回復されたそうです。

さて、るなさんの俳句ですが、彼女の句には、一物仕立ての風景描写、写生、花鳥諷詠という傾向のものがほとんどありません。
るなさんの俳句は、そのすべてが彼女の心象風景の詩的なスケッチ画のようなものです。
鑑賞する側はその作品から触発され、みずからが独自の物語をもうひとつ紡ぐことになります。
読者は彼女の句に導かれて、自らの中に忽然と現れる新たなストーリーを見いだすことになるのでしょう。

ですから、ここに記された短文は、るなさんの俳句に対する句評とか鑑賞とかいうものではなく、彼女の一句から触発され、自然に湧き上がった「わたくし」の呟き、または心象風景であるにすぎません。

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●主われを愛すと歌ふ新樹かな
諸人こぞりて主は来ませり、とカソリック系の幼稚園児だった私は歌った。人が人を想うということほど素晴らしいことはない、とは先日亡くなった高倉健さんの言葉。誰彼を分け隔てることなく愛することのできる人、その人こそが神から愛される人に違いない。

●空蝉の動くと見えて吹かれとぶ
錯覚や幻想や自らが紡ぎ出す物語の中で、人は生きているのだと思う。いつ吹かれ飛んでも良い、という覚悟はしておいたほうがいい。

●夏木立少女のなかにある卵
ジェンダーを超えて立つ、14.15という時期がある。それは初恋までのとても美しい年齢だ。けれども悲しいかな、少女はいつか恋をする。そして、みずからの中に抱いていた卵を割ることになる。

●かはほりやサーカスの来る河川敷
怖いものがみっつも並んでいる。怖いものとは見たいものである。河川敷にはいつも、流される血の予感が漂っている。

●月涼し相席に聞く伊太利語
相席ほどスリリングな舞台はない。ましてや月が昇り、ドン・ジョバンニが闊歩するような、そんな夜には。

●失せやすき男の指輪きりぎりす
約束事はしないにこしたことはない。しかし、約束してしまった以上は、命懸けでそれを守るべきだろう。たとえその為に、人生を棒に振ってしまったとしても。

●投売の女の古着西鶴忌
新しい衣装を纏うとき、女は過去の衣装を棄ててしまうものである。新しい男を纏うときもそう。女は恋をしている時、男という、その一曲の音楽を聴いている。どんなに好きな曲だとしても二曲を同時に聴くことはできない。

●大判の切手舐むるや西鶴忌
女はいつでも強い男、大きな男に惚れるものである。

●コスモスや記憶と違ふ通学路
人生は一本の映画を観ているようなものだ。ストーリーに入り込んでしまえばその映画は脚本家のものではなく、自分のものである。

●故郷に過ぎし十代檸檬切る
若すぎて、力がありあまりすぎて、何よりも退屈を一番嫌悪していた十代。振り返ると、その怠惰な時間こそがパラダイスであったのかと思う。レモンが少し目に沁みる。

●青蜜柑技師と詩人の北より来
久しぶりに友人たちと会う。みな、それぞれ大人になって立派に社会を生きている。私なんだか、取り残されそう。

●林檎売る男の臀の財布かな
行商の男の尻のポケットには大きくて立派な皮の財布が見えている。その財布は、仕事に対する男の自信と喜びを表している、男はとてもセクシーだ。

●身に入むや白墨の音こつこつと
教師は黒板に向かい、乾いた音を立てて公式を書く。受験が近づいている。人生の複雑な岐路が目の前に待ち受けているのか、と思う。人生とは岐路の連続である。

●ユダの如く歩みて木の実時雨かな
物憂い時間に木の実時雨がポツリ、またポツリ。まだ生き切れていない、まだ自由じゃない。

●冬青空音なく紙の燃え尽す
燃やそうとした過去は、炎とともに跡形もなく消えてゆく。しかし、記憶が消え去るかどうか、それは分からない、それは神のみぞ知ることである。

●鶴となる紙の白さや冬ともし
白い紙で折鶴を折る。ささやかな祈りの色には白が一番似合うだろう。

●風花や渡廊下を小走りに
いそいそと、あるいはウキウキと、忙しく時は過ぎる。時は忙しく過ぎ、人生は艶めいている。

●方舟に遅れし記憶鮫の鰭
鮫が冷酷なのは、鮫が選ばれなかったからだ。鮫は非情なのではなく、無情なのだ。

●三月や擦れ違ふ子のバニラの香
まだこの世の汚れに染まっていない子供たちからはバニラのような甘い香りが立ち上る。その香りを再び取り戻すには、人は覚前と悟らねばならない。覚者には子供と同じバニラの香りがする。それは、三月のものみなが「いや生ふ=弥生」の季節の匂いとも同じである。

●黒髪の母より知らず沈丁花
若くして死んだ美しき毋のこと、香り立つような記憶とともに。

●飽くるほど海見し日あり花ミモザ
火と水の流れは見飽きるということがない。

●正装に冷えたる耳やフリージア
正装する時は心地良さよりも礼儀が優先される。フリージアは控えめで気品のある花です。

●菜種梅雨日直の名の二つづつ
女子と男子の名前が並びます。きちんと役割分担して、異性との付き合い方も学びます。

●春水にゑくぼのやうなひとところ
笑窪のやうな、という比喩で水が温み始めていることがわかります。さあ、これからがものみながいざ生ふ季節、木も花も鳥もたっぷりと春の水を吸い込みます。

●鳥交かる綿のこぼるる縫ひぐるみ
河原などでときどき羽毛が激しく散らばっているのを見る、交情とはいつも不穏な空気を孕んでいます。

●鞦韆を降りて年とる手足かな
一期はまるで夢のやう。

●少年に夜のプールの匂ひけり
昔、こんな句を詠んだことを思い出しました。「初恋や鼻腔の奥にあるプール」

●いぬふぐり子どもに長き午後のあり
こどものころの体感時間は長い。 10歳の子供の一年は人生の十分の一だが、還暦の一年は人生のたった六十分の一にすぎない。

●竹の秋髪のさきまで吾子ぬくし
若き日の血の巡りの疾走することといったら。

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〜あとがき より

二十六年前、母を乳癌で亡くした。まだ五十七歳だった。
そのことは、私が俳句を始めるきっかけとなった上、今回この句集を上梓させていただけることになったのも、私がこの夏、五十五歳で肺癌を得たためだ。
運命とは不思議なものである。〜中略〜

そして俳句とは、自分の周りの世界を「良いもの」であると感じるための恰好のツールである。
誰かの頭上だけがどれほど土砂降りであろうとも、私の尊敬するフランクルの言葉のように、「それでも世界は美しい」ということを、俳句は容易に思い起こさせてくれるから。〜後略〜



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*美しき無常の月 悲しき無情の天使 から

●友情
一片の さくらの花びらが 大地に触れるように
仏陀の 末期の吐息に放たれた 甘美な教えのごとく   葱男


■ 葱々集〈back number〉
*「筥崎宮・蚤の市」吟行句会*楠木しんいち「まほろば」*銀座吟行句会*Subikiawa食器店*ジャポニスム*金髪の烏の歌*Mac崩壊の一部始終*香田なをさんの俳句*能古島吟行句会*Calling you*白鴨忌*葬送*風悟さんの絶筆*小田玲子・「表の木」*初昔・追悼句*大濠公園/吟行・句会/2012,11,11金子敦「乗船券」丘ふみ俳句:丘ふみ俳句:韜晦精神派(久郎兎篇)丘ふみ俳句:協調精神派(前鰤篇)丘ふみ俳句:行楽精神派(メゴチ篇)丘ふみ俳句:ユ−モア精神派(喋九厘篇)丘ふみ俳句:俳精神派(五六二三斎篇)丘ふみ俳句:俳精神派(香久夜・資料官篇)丘ふみ俳句:俳精神派(水音篇)丘ふみ俳句:詩精神派(秋波・雪絵篇)丘ふみ俳句:工芸精神派(君不去・夏海)丘ふみ俳句:実験精神派(白髪鴨・ひら百合・入鈴・スマ篇)丘ふみ俳句:砂太篇俳句とエチカ現代カタカナ俳句大震災を詠む「遊戯の家」金原まさ子さらば八月のうた「ハミング」月野ぽぽな「花心」畑 洋子1Q84〜1X84「アングル」小久保佳世子ラスカルさんのメルヘン俳句「神楽岡」徳永真弓「瞬く」森賀まり『1Q84』にまつわる出来事「街」と今井聖「夜の雲」浅井慎平澄子/晶子論「雪月」満田春日 「現代俳句の海図」を読む:正木ゆう子篇 櫂未知子篇田中裕明篇片山由美子篇「伊月集」夏井いつき「あちこち草紙」土肥あき子「冬の智慧」齋藤愼爾「命の一句」石寒太「粛祭返歌」柿本多映「身世打鈴」カン・キドンソネット:葱男俳句の幻想丘ふみ倶楽部/お誕生日句と花