俳句の著作権=葱男

「業俳」と呼ばれる俳人がいる。
俳句を職業とし、いわばお茶やお花の先生と同じようにお弟子さんをとり、俳句ののいろはを一から教えて授業料をいただく。れっきとした仕事である。
私も「はるもにあ」在籍中には満田春日さんに10句1000円で句を見てもらっていた。 推敲してもらった句はそのまま俳句誌に投稿を許され、ご本人が句の選者でもあるので、当然のことにその推敲句はある程度評価されることになる。
俳壇では師匠が弟子の句を推敲し、弟子はその句を自分の句として発表するのは通例である。 この場合、「業俳」と呼ばれる職業俳人は自分で手直しした句を手離し、それをお弟子さんの句とするのである。

一方で「遊俳」を自認する俳人もいる。
こちらは俳句を趣味として愉しみ、宗匠を持たず、組織のルール、慣習にも追従せず、自由に17音を楽しんでいる自己表現者であり、ジャンルを超えて文学、芸術に遊ぶ人たちである。

「丘ふみ游俳倶楽部」はもちろん、「遊俳」の集まりとして誕生した。
宗匠は置かず、皆が同じ席に着き、平等かつ自由に自分を表現できる場所である。
クラブの目的は上手い俳句を詠めるようになることでも、点数を競うことでもない。
俳句の上手な人はこの日本に五万といるのだから上手くなってもしかたがない。俳句は歌を歌ったり、踊ったりするのと同じで自分を解放する手段であり、歌手を職業としている人のように上手く歌えなくても楽しければそれでよいのである。

ただ、歌手になるためにヴォイストレーニングに通うように、俳句には俳句の基本の「形」があるから俳句教室に通うと(結社の句会に参加すると)、俳句になっていない言葉は師匠によって刈り取られ、有季、旧仮名、定型の正しい俳句の形に整えられてゆく。
お花の先生がお弟子さんが活けた花の小枝を切りとって××流の生け花の形に整えて行くのと同じである。
小枝を切り取られ、形にを整えられた作品は、そのままお弟子さんの名前で発表会に出品されるのである。

しかし、師匠に力量が備わっていないと、最初に活けられた花の個性も切り取ってしまうことがある。
私の宗匠は私が俳句結社に所属することを極端に嫌った。結社に所属することによって、知らず知らずのうちに自分の世界を殺し、主宰の美意識に従う17音を選ぶようになることを恐れていたのだ。
組織の中で認められ、サロンの中に居心地の良い場所を見つけることが唯一の目的となることを恐れた。

結社に入会すると、はじめのうち会員は組織のためにボランティアであれやこれやと自主的に働くことを求められる。組織に貢献したものはだんだんと主宰に可愛がられ、同人への階段を順調に上ってゆくことができる(もちろん個人差はあるが)。こうして次第に句会にヒエラルキーが生じ、そこからはみ出しているものは少しづつ皆から疎外されてゆくことにもなる、というのが私の経験だ。

私が編集し、部長をつとめる「丘ふみ游俳倶楽部」は根本の理念は金子みすずの「みんな違って、みんないい」、「丘ふみ」の100号宣言にはこう書かれている。

〜「丘ふみ游俳倶楽部」には「有季、定型、旧仮名遣い」といった規制はありません。自由で最も未来的なネット上の俳句クラブを目指しています。俳句および短詩型の文学表現に興味ある方ならどなたでも参加できます。〜

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理恵さんとメッセンジャーで師と弟子の関係について意見を交感した。彼女の話を聞く中で私なりに俳句の著作権について考えてみた。

六歳から俳句と対峙して60年になる大森理恵さん。彼女は 大野林火から マスコミへは出ないようにと言われ、その言葉を守り続けている。 角川家とも40年間の 深い繋がりがあり、俳句界の 表も裏も知り過ぎるほど知っている。彼女は「俳句は男女、年齢、 地位、肩書き、名誉を 超えたモノ」だと言う。「俳句は 上手い下手では 無い、【生き方】を大切にして人品を高めてゆく事が俳句だ」だというのが持論だ。

私は彼女に質問した。「その人格についてですが、例えば私が理恵さんに句を30句、推敲してもらって、それをそのまま私の名前で「俳壇賞」に応募したとしたら、そんな人間に品格はありますか?」


理恵さんの答えはこうだ。 彼女はこれまで大勢の 有名な俳人の 選句や添削をされてこられた。その中には俳壇でとても有名になった俳人も 大勢いる。 彼らが、よい指導者になったならそれが彼女の本望なのである。
「品格云々は もっとレベルの高いところで申し上げております。」と彼女は言った。 また、「 私は一度、 添削した作品は 作者のモノであると 思っております。」とも。
俳句界では 添削や推敲など 当たり前の事だそうだ。
「 私の推敲句30句で 中島さんが 【俳壇賞】を受賞されたら、それは、それは 嬉しい限りです。 それが指導者の性(サガ)だと思います。」

私は「よく分かりました。理恵さんの考え方はそれはそれで俳句という世界の一つの美意識なのかもしれませんね。お話うかがえて、とても勉強になりました。」と返事するにとどまった。、

しかし、私は「レベルの高い品格」というところで躓いていた。
私はなぜかそこで安倍晋三総理の顔を思い浮かべたのだ。
もっとレベルに高いところに理想を掲げるなら、世情の小さな嘘は力で覆い隠して自分の大望に心を向けるべきだ、安部さんはそう思っているのだろう。

一度目の総理就任のときにはまだ残っていた「良心」のせいで彼は鬱になった。そんな自分を顧みて、二度目の今は「良心」を捨ててでも国家の品格を守ろうとしているのではないか、いや、そう勘違いしているのではないか。
彼の祖父、岸信介は満州でアヘンの密貿易にかかわり、巨万の富を得た。敗戦の東京裁判ではA級戦犯であったにもかかわらず、なぜか処刑を免れ(GHQにすべてを受け渡したからだ)、戦後の政財界を牛耳ったのである。岸は自分に誇りを持ち、日本に貢献したと思っていることだろう。

話が大きく逸れてしまったが、つまり、「遊俳」に嘘は必要ないのである。「丘ふみ游俳倶楽部」は俳壇の伏魔殿からは遠くはなれたところにある。

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