連歌集「月のかほり」



「天平の巻」

【初折表】

発句(冬)  ●天平の大風夢渡る冬野かな=木笛 
脇(冬)   ●神有月にいづるや麒麟=月下村
第三     ●横顔におもかげ追ひし宴にて=雪絵
四      ●振りむいてみる酔いし想いで=宵越
五(秋の月) ●玻璃越しの耀(あかる)さ益(ま)して月今宵=なを
六(秋)   ●秋声はるか象もかしまし=月下村

【初折裏】

折立(秋)  ●早生蜜柑つんと香りて胸さわぎ=雪絵
二      ●あの日のことや忘ることなき=五六二三斎
三      ●真暗闇君の名を呼び目を覚まし=すま
四      ●時の調べを想ひの波とす=木笛
五      ●空(クゥ)と哭く薄幸抱き奏でるは=月下村
六      ●南十字の星影ワルツ=五六二三斎
七(夏の月) ●夏の月獣の群れを解き放ち=なを
八(夏)   ●水母の乳を島に遣わす=月下村
九      ●六ペンス棕櫚の木陰にきらめきて=ひら百合
十      ●少女の眸求めて已まず=入鈴
十一(春の花)●初櫻歌も団子もたんと召せ=月下村
折端(春)  ●春袷着て破顔の一日(ひとひ)=すま

【名残表】

折立(春)  ●上手(かみて)より風船売の登場し=なを
二      ●オペラハウスに響く銅鑼の音=木笛
三      ●空を飛ぶ恋人たちの巴里の夜=すま
四      ●茶の庭に寄す君に乾杯=雪絵
五(冬)   ●猫行火抱いて寝酒のぼっけもん=月下村
六(冬か雑) ●冬薔薇(さうび)には真つ赤なリボン=なを
七      ●目覚めれば古都に優しき日は射して=五六二三斎
八      ●君のおでこにおめでとのキス=すま
九      ●肌と肌触れて思いを確かめる=雪絵
十      ●蜜の味する奈落に落ちて=なを
十一(秋の月)●眠れずに二十三夜のアルルカン=月下村
折端(秋)  ●灯りは消えぬ秋の湯の宿=五六二三斎

【名残裏】

折立(秋)  ●光とは薬師如来の踊唄=月下村 
二      ●慈愛でつつみ遊ばせ給う=ひら百合
三      ●一滴瑠璃に輝き結ぶ玉=木笛
四(春)   ●微笑(わら)ふあなたに亀鳴く夕べ=なを
五(春の花) ●夢のせてしづかに流る花筏=すま
挙句(春)  ●千刻の春ひとり惜しまん=五六二三斎


句上げ:木笛=4句 須磨=5句、奈緒=6句、雪絵=4句、入鈴=1句、
ひら百合=2句、五六二三斎=5句、宵越=1句、月下村=8句。

*08/NOV./2005 起首  26/NOV./2005 満尾

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『天平の巻』/鑑賞(月下村篇)

『初折表』
 大昔、人々は神聖なる森や海辺の広場に集まって、歌を詠い、舞いを踊った。
大化、白鳳、天平と続く上古の祭りの風が今、夢のように私の体をめぐって行く。
夜空に幻の麒麟の姿を追いかけてみる。2005年神有月、この混乱の世を済い、治めることのできるような君子が果たして世界に出現するだろうか?
そんな事をつらつらと思いながら、宴に集まる懐かしき人達の面影を追い、心はまだ若かった頃の自分に還っている。
窓の外には煌々と月光が瞬く。賑わう声、多くの人影も宴の喧噪も、何故かはるかに遠くの出来事のようだ。


『初折裏』
 どこからか、不意に青い早生蜜柑の瑞々しい香りがして、熱い胸騒ぎを覚えた。
あの頃の事は決して忘れないだろう。暗闇の中で君の名を呼んで目を覚ましたことがあった。時の調べは想いの波のように寄せては返した。まだ確かなものを何も持たない自分は、ただ自らの不幸せだけを抱き締めるようにして、また眠りについた。
夢の中の楽園には南十字星がキラキラと美しいワルツを奏でていた。 南の島の夜空には、満月が獣のように鋭い光を放ち、浜に打ち寄せる大量の水母が吐き出す神秘的な乳色の液体が透明な海を白く濁らせた。
棕櫚の木陰には見た事もない異国の金貨が光り、それを見つけた少女の瞳も何かを求めるかのように輝いた。金貨は島の少女にこう語りかけていた。娘よ、ためらわずにあらゆる新たな経験を享受するがいい。春の装いで屈託なく笑う君の一日を貪欲に求めるがいい、と。 


『名残表』
 空想の夢の舞台の上手から風船売りの道化者が登場する。
オペラハウス開幕の銅鑼のように鐘の音が会場に響いた。「乾杯!」の音頭がとられる。
場の空気が一瞬、シャガールの絵画のように浮遊し、いささか歳を重ねた私達も、まるで巴里の若い恋人達のようにはしゃいでいた。
私は横にすっくと立つ、着物姿の君と目線を交わす。つくばいの上に散る椿の散華のように清貧で、永遠の気品と気高さを纏う君に、お祝の盃を捧げる。それに比べて私の生業はといえば、いつまでたっても、捨て猫を抱いたまま酔いつぶれて眠ってしまうような相変わらずの世間知らずな馬鹿野郎にすぎない。
冬薔薇の花束に、赤いリボンを付けて懐かしき君に贈る。その夜の偶然の出逢いは本当に不思議な出来事だった。

湯の宿の一室に目覚めると、窓越しの櫻の木の影からは古き都の、優しく穏やかな光が射し込んできて、私は君のおでこに「おめでとう」のキスをする。
君は権威ある「俳句誌」の新人部門の選考会で、大きな賞を獲得したばかりだった。
もう一度蒲団の中でお互いの肌の温もりを確かめる。昨夜の私は、蜜のように甘い恋の奈落に落ちて、午前零時を廻っても寝付かれない愚かなピエロのようだった。それから朝が来るまで、枕許の小さな明かりが消える事はなかった。


『名残裏』
 光とはなんて美しいもの、空から無限に降り注ぐ聖水であることだろう。それは生きとし生けるもののやまひを癒すために歌い踊る、薬師如来の化身である。疲れた我らの心と体を包み、安らぎの時の中へと導き、無心の遊戯をともにあそんでくれる神様からの贈り物だ。朝、人間世界の猥雑さに打ちひしがれ、ひと雫、瑠璃色の涙がこぼれたとしても、夕べにはそれを赦してくれる君の微笑みがあった。
ふたりで中庭を散歩する。小川にしつらえられた水のせせらぎには小さな櫻の花弁がしづかに流れている。このひとときが千刻の春となる事を惜しむように、私は愛おしい君の、彌勒のような面影を深く心にきざみこんだ。  


*第1回「猫柳の巻」 *第2回「竹林の巻」  *第3回「茶の庭の巻」 *第4回「若草の巻」 *第5回「椿の巻」   *第6回「櫻餅の巻」 *第7回「幻世の巻」 *第8回「水辷る掌の巻」