「椿の巻」

【初折表】
発句   ●椿落ちてきのふの雨をこぼしけり=蕪村
脇    ●散華に学ぶ春霊鑑寺=月下村
第三   ●日うらうら濁世の闇を過ぎこして=なを
四句   ●ひかりの枝に鳥のぢぢめき=すま
五句(月)●覆ひ羽に月育みて飛び発ちぬ=入鈴
折端   ●色なき風を歌枕となし=なを

【初折裏】
折立   ●しめやかに夢二つ消ゆ草泊=月下村
二句   ●榛名の山におもひをはせつ=すま
三句   ●水に溶く青絵の具に山葵混ぜ=入鈴
四句   ●かぎりなきあいきみへそそがん=すま
五句   ●ゆふぐれて今生の恋あといくつ=なを
六句   ●金羊しじまに数え眠らむ=月下村
七句 (月)●光降る夏満月のやはらかに=すま
八句   ●酔ひたる吾に夜風涼しき=なを
九句   ●地下鉄の闇をくぐりて朝運ぶ=すま
十句   ●まばゆき光キャンパスに満つ=五六二三斎
十一(花)●花の雨水面に 映る鬼女ひとり=なを
挙句   ●なゐ去らぬ春燈瞬く(はるともし)=入鈴

句上げ:蕪村1句、なを5句、すま5句、五六二三斎1句、入鈴3句、月下村3句。

*弥生二十三日起首〜卯月四日満尾


【椿の巻】鑑賞/須磨篇

【初折表】
あれはいつのことだったか。二人で京都を旅したことがあった。
訪れたのは春の霊鑑寺。昨日の雨が椿の花とともに落ち水たまりを作っている。
「この椿を見てごらん」とあなたは言った。落ちた椿の花がまるで大地の上でもう一度咲いているかのようだった。花が散っても終わりではなく、もう一度花を咲かせることだって出来ることを、私はそのとき知った。しかし今はもういないあなた。

あなたを失ってからの私はまるで抜け殻。ただ呼吸をして生きているだけの人生が過ぎていく。
いさかいの絶えぬ現実世界や自然の脅威にさらされ、怯え、手探りで漆黒の世界を歩いてきた。その闇の向こうに見えた一筋の光。長い夜が明けたあと、空が白んでくる。光溢れる枝にとまり、さえずる小鳥たち。覆い羽に、夜道を照らし私を導いてくれる月をしっかりと抱き、自由な空へと飛び立とう。季節はまた巡り秋の風が吹き始め、さびしい歌をうたう。
私はやはり独りぼっち。

【初折裏】
草泊で若い二人は愛し合ったこともあった。
と同時に二人の愛も哀しく静かに消える運命に。
夢二と彦乃はかなしき恋の求道者。人目を忍ぶ許されぬ愛。山、河と互いを呼び合い、愛のメイルを交わす。
夢二は突然この世からいなくなった彦乃を求め、「青山河」の絵を描く。山は彦乃、河が夢二、青は彦乃を失った悲しみの色。榛名山は彦乃そのもの。悲しみ色の青絵の具を涙色の水で溶き、山葵を混ぜ、絵筆につける。
限りないさびしさをくれた君に限りない愛を注いでいこう。

気がつくと人生の夕暮れともいえる年代にかかってしまった。
燃えるような恋はあといくつできるのだろうか。
眠れぬ夜は、夜のしじまの中で金色の羊を数えて眠ろう。
夏の夜、南中した満月の柔らかな光が降っている。酔いたい気分になり独りで飲んでみる。窓から涼しい夜風が吹いてきて、少し火照った頬を醒ましてくれる。
地下鉄に乗りこの闇の世界から抜け出したい。闇の向こうにはきっと朝が続いているはずだから。
目を開けるとそこは若人が集うまばゆいばかりのキャンパス。自由、秩序、開放感、明るいさざめきに溢れている。春の優しい雨が降ってきて、水面に映った自分の顔を見る。鬼女が一人、泣いているような顔だ。
突然襲った地震がまだ心を揺さぶっている。しかし怖れの中にも春の希望の灯がきらきらと光っている。結ばれぬ運命の恋人たちの魂は時空を超えて、今も彷徨っている。 (了)

*第1回「猫柳の巻」 *第2回「竹林の巻」  *第3回「茶の庭の巻」 *第4回「若草の巻」