「茶の庭の巻」

■初折表
発句   ●茶の庭や小紋の袖に光る風=宵越
脇    ●常磐の松にくゆるひとかげ=月下村
第三   ●鞦韆を強く漕ぎたる夢をみて=なを
四    ●菜の花生ける方丈にをり=入鈴
五(月) ●陶然と立ち待ちの月仰ぎ見る=平百合
折端   ●ネオンの都会花野となりぬる=すま

■初折裏
初句   ●座布団と夜食持参のキネマ館=月下村
二    ●白黒ならば海馬が動く=宵越
三    ●シナプスの縦横無尽小宇宙=すま
四    ●行方知れずの戀をさがしに=なを
五    ●嗚呼!慕情不合理ゆえに吾信ず=月下村
六    ●焦がれ船にて流れ流れて=すま
七(月) ●濡れ髪のまなざしとほく夏の月=なを
八    ●風鈴いずこ歌会かなしき=月下村
九    ●大正のロマン夢路に漂へば=平百合
十    ●古きアルバム母の仕合せ=すま
十一(花)●床に臥す彼のひとに添ふ沈丁花=雪絵
折端   ●ひがなに交わす一日の春=月下村

■名残表
折立   ●山笑ふ両手ひろげて深呼吸=なを
二    ●ハグするがよし危惧するもなし=月下村
三    ●お日様と草のにほひの彼の髪=すま
四    ●寝そべる姿少年を見る=五六二三斎
五    ●何ごともなきが嬉しき根深汁=なを
六    ●みなで囲みし遠き冬の夜=雪絵
七    ●間鴨を篭目の中にひそませて=月下村
八    ●いついつ出遣る名のみの春よ=入鈴
九    ●声張りて山びこ聞きし幼き日=五六二三斎
十    ●おみなとなりて睦言に酔ふ=なを
十一(月)●酒嘗めて胡人の月をなぞらえば=月下村
折端   ●瀝青の瓶に末枯れの雨=入鈴

■名残裏
折立   ●文机(ふづくえ)の傷に秋思の論を読む=月下村
二    ●古(いにしへ)人のまほろばの夢=なを
三    ●風かよふ冷めた珈琲ほろ苦き=すま
四    ●帰りし君の戻る信じて=五六二三斎 
五(花) ●この世とて櫻の五弁ひたぶるに=月下村
挙句   ●日のこぼるるや春の装い=宵越

句上げ:宵越3句、雪絵2句、なを7句、すま6句、五六二三斎3句、入鈴3句、平百合2句、月下村10句。

起首:14/FEB./2005


茶の庭・鑑賞/月下村篇

■初折表

大徳寺、書院の庭に春が訪れる。櫻小紋のきものを着た美しいひとが、松の蔭からこちらを見ている気がしたのは春の霞か幻か?
幼き日、ブランコを強く漕いで、遠くへと飛ぶ遊びが好きだった。そんな、夢のような昔の話を思い出しながら方丈の間に活けてある菜の花を眺めている。
見上げる空には立ち待ちの月。千年の古都も、河原町あたりはネオン煌めく都会の花野へとすっかり変貌を遂げた。

■初折裏

学生時代、オールナイト興業の名作を観に、座布団と弁当を携えて場末のキネマ館へよく通った。それが白黒映画だと何故か一層心に残った。頭の中の自分だけの小宇宙に数々の物語が生まれ、何処へ向かうのか、行方知れずの恋がひとつ生まれた。
嗚呼、あの日の慕情よ!人は不条理の恋にこそ青春の真を燃やすものなのか。
恋い焦がれて、思い漂った挙げ句の果てに、ふたりはちいさな部屋を借りて一緒に暮らした。
貴方はよく、風呂上がりのまだ濡れた髪のまま、うつろな眼差しで夏の月を見上げていた。あの部屋の窓辺に吊るされた硝子細工の風鈴はどこへいってしまったのか、あのころの二人の宴を詠うことさえ今は哀しい。

大正浪漫華やかなりし頃の、いにしえの時代はさらに遠く、病床に臥す母の枕許には沈丁花が馨り、春のひがな一日をこうして、親子ふたりで過ごしている。

■名残表

遠山に向かい、両手をひろげて深呼吸をしてみる。
何も危惧する事はなかった。愛はただ抱きあえばよかった。あのころの貴方の髪からはほんのりとお日様と草の匂いがした。大の字になって寝そべる姿は幼い少年のように屈託がなかった。
平穏無事が日常だった毎朝の朝餉、家族みんなで囲んだ冬の夜の団欒。子供たちみんなで遊んだ、遠く懐かしい春の山川よ。こだまが返るのがおもしろくて、いくどもいくども大きな声を張り上げて笑った幼き日々。
りっぱな大人の女になってしまった今の私はといえば、気が付けば、世情のくだらない睦言に酔い、瓶仕込みの強い酒をあびるように呑んで、異国の男と空しく夜を戯れたりもしている。

■名残裏

机の傷は青春時代の憂鬱を知っている。文学も歴史も過去の人々の夢の集積にすぎない。
窓辺から風が吹き込んで、啜るコーヒーの味は心無しかちょっぴりほろ苦く感じる 。

いつか、貴方がここに戻って来る事を信じています。
この世はただただ、櫻散る無常の地ではあるけれど、春はこうしてこぼれる日溜まりと共に還ってくるのだから。(了)

*第1回「猫柳の巻」 *第2回「竹林の巻」