随想集「月下独作」/2005




*過去と未来

●来世では鯨か冬の金魚かな=スライトリ・マッド
●老いて今 八割過去の初冬かな=前鰤
●現在(いま)は過去今は秋過ぐ心字池=資料官
●来し方の吾を吾とて抱締めつ=入鈴
「花は葉にたったひとりの老ひ支度」とは私の連歌会の同人でもある歌人「弥生 直」女史の句である。
私達は家族というものを持ちながらも究極、たったひとりで老ひ支度をしなければならない。
来世にはチベットで五体倒地の修行をしているのか、ただ一匹の尺取り虫に生まれ変わるのか知らないが、老いて今、あとどのくらい残っているのか分らない寿命を生ききるのは大変に困難な事である。
心が冬の池のように凍てつく事だってあるだろう。しかし、此れから先に起こる事のすべては来し方の由来から必然に導かれる行く末であって、何もかも私個人の霊魂に起因しているのだ。
直さんのように美しい「花」としてこの世界から離れられるとは到底思えないが、苦々しくも改悛の味わいも奥歯に噛み締めながら、魂の純白だけは心に秘めて、少しでも温かい過去と未来の過客となりたいものである。
●葱葱と過ぎ去る白きぬくきもの=月下村
●過客なり北山を越す冬の月=月下村
06/DEC./2005

*個人と国家

●個人主義自由も痛し秋あざみ=木笛
日本人が戦後に手渡された個人主義とは、欧米の白人達が彼等の歴史から勝ち取ってきた個人主義ではなく、敗戦によってアメリカから無条件に与えられた子供のおもちゃのような個人主義である。目の前に人参をぶらさげられて、あれもこれも欲しい欲しいとやっと手に入れたおもちゃの数々が、今やゴミの山となって眼前に捨てられている。
●歌も旗も誇りも褪せて雨月なり=月下村

●国家とはなんぞ沖縄の夏終わり=資料官
沖縄や奄美に芸能の才人(祭神)が次から次と排出して来るには理由があるだろう。
Cocco、BIGIN、UA、元ちとせ、喜納昌吉、ネーネーズ、etc。彼等が「癒しの音」を霊媒にしてヤマトンチュに問いかけたい、唄いたい、叫びたい言葉に耳を傾けるのが好きだ。
●一億の命照らさん月の秋=スライトリ・マッド

●祖国てふ文字が燃えだす野分かな=二六斎
身捨つるほどの祖国はありや、と寺山修司は歌った。あの時代に初めて、国家ではなく、個人とは何かを模索しはじめた若者達が現われた。彼等は今、熟年から老年に向かって、マッチ擦るつかのまの人生の再出発を迎える。「国家」が何も変わらないとしても、「個人」を変えるのはその当の本人である。
●このGeneいつも世界に一つだけ=ひら百合

●空打つや国家思ひて秋茜=木笛
日本の花があり、日本の歌があり、日本の風景があり、日本人としてののアイデンティティーがあるはずなのだが、戦後のアメリカ文化支配下60年間で、それらの自己同一化できる象徴的な日本人固有の文化はどんどん色褪せていった。しかし、それは完全に消滅した訳でもなく、若い人達の中には自分達日本人固有の精神性を再発見したいという欲求も芽生えているようだ。また一方では、この国の偏狭で小さな精神風土の留まらずに、よりインターナショナルでタフなスピリチュアルを模索する若者達がいる。精神を純化するのか、グローバルに鍛えるのか。それは日本を意識するかしないか、という問題でもあるだろう。
ただ、さまざまな考え方、感じ方を持つ我々日本人皆に共通な意識がもしあるとすれば、それは我らがどこか他の国の属国にはなりたくないという心ではないだろうか?
●水清く稲穂の垂るる国ならむ=前鰤

●地の上の国の上の月人の上の月=君不去
暗黒の宇宙ステーションには、数年に亘ってそこに留まって研究活動を続けているロシア人とアメリカ人がいる。
共同で生活する彼等はおそらく、お互いを否定する事ができないはずだ。もし彼等二人が仲たがいしたとしたらその宇宙ステーション自体の存在の危機は目に見えている。そこには国も宗教的対立も習慣や育って来た環境の違いもたいした問題にはならない。彼等にとってはステーション自体の存続こそが彼等の最重要課題にほかならないのははっきりとしている。なぜなら、彼等を生かしめているのがその宇宙空間に浮かぶ、「大地」の存在そのものだからだ。
●流れ星国の間を隔てなく=メゴチ
05/NOV./2005

*戦争と平和

●遺伝子に玉音の声蓮の花=五六二三斎
太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗れた時、多くの日本人の心情はどうであったのか?
「神の国」ニッポンがまさか戦さに敗れるとは思ってもいなかったのか?他国の支配に屈するぐらいならば、自決する道を選ぶほうが自然な感情であったのか?屈辱的な仕打ちには耐えられないという、その民族的誇りは、戦中の軍国主義の偏った教育から生まれたものであっただろうが、にも拘わらず、天皇ヒロヒトの声に皆が屈辱に耐え忍ぶことを選んだのは何故だろう?戦後のマッカーサーの駐留植民地統治の下で「リンゴの唄」に希望の光を見出せたのは、「まだ生きられる」という最も単純明解な予見に対する喜びからだったのではないか?。まだ人間宣言をさせられる前、現人神であった天皇の玉の声がラジオから響いた。「耐えがたきを耐え、忍びがたきをしのび〜」。どんな屈辱にも耐えて「生きろ!」と、天皇は宣った。
この言葉の不可侵なる神聖さが、戦後の民主主義教育によって、自分の遺伝子に組み込まれている事を私は感じる。 「誇り」と「命」を天秤に懸けるという教育はこれまでに受けた記憶がない。

●海刻む父の戒名終戦日=五六二三斎
海逝かば水漬く屍、山逝かば草生す屍。
戒名は、その後に生き残ったものが死者にたむける、彼の人が、ひとときこの世界に存念した事の証しと意味を与えるものである。
祈涅槃/哀國院海音静聞居士  by 幻月下村信士。

●終戦の焦土に逢ひし父母はるか=月下村
焦土の上にも夢があり希望があり戀があり、芸術があった。生まれて来た存在の全ては、父母の思い描いた夢や芸術という、形なき抽象こそが造り出した具象にほかならないとも言える。

●戦争の大罪問ふや花木槿=君不去
韓国の国花は木槿である。底紅のおもてにうすきあすなゐろ=月下村。「あすなゐろ」という言葉が「明日な色」の造語であったとしても、木槿の花の底の紅の由縁を省みずに大罪を問う事は冷静さが足りないのではないか?罪は罪であって、大きい小さいは、チャップリンの有名な「独裁者」の台詞を持ち出すまでもない。「原爆を使う事を阻止できるかどうかという問題は、私という個人的な人間の範疇を越えている。」というアインシュタインの考えを、歴史はどう裁くことができるだろう?

●特攻機オブジェの如く敗戦忌=スライトリ・マッド
特攻隊の個人個人について、彼等の行為をどう評価するにも私にはその資格がない。
モスリムの自爆をテロリズムだと非難する事は可能だろう。その論拠は学生運動華やかなりし頃の、革命的マルクス主義や中核の学生達を思い起こせば済む事かもしれない。ただ、戦場における自爆は「日露戦争・肉弾三銃士」の欄間が重要有形文化財に指定された、京都の「船岡山温泉」に見られるがごとく曖昧である。
オブジェとは喚起するものであって惹起するものではないというのが職人の正当な考え方だ。

●敗戦を天災のごと語る人=入鈴
終戦が敗北によって災いに転化するものだとすれば、戦いに勝った側に災いはなかったのだろうか?
今現在のアメリカを見ていると、完全な勝利もありえないし、勝利は人災であり、敗北であるかのようでもある。
敗戦を人災ではなく、天災のごとくに語る老人がいるとすれば、彼の間違いを指摘する事において、残念ながら私は明確な論証を持っていない。
天が人に与えたものには幸いも災いも同時に含まれている、と感じているからだ。
ただ、多民族、多宗教の人間達が綴る、千年続くエルサレムの悲劇と、翻ってカイラス山の深き信仰を比較すれば、災いの人となりが解明できるのかもしれない。

●靖国や戦争責任隠れをり=資料官
A級戦犯を祀っている神社というものが靖国神社である。
東京裁判で犯罪者となった罪人をその社に祀り、彼等をも鎮魂するのである。
戦争を美化する為にその神社はあるのだろうか?それとも、あまねく人の魂を鎮めるためにそれはあるのだろうか?
朱に塗り込められた鳥居はこの世とあの世との結界でもあるだろうが、京都の五山の送り火、鳥居型の108の火種の数はまた、人間の煩悩の数でもある。

●夕陽背にグラウンドゼロの赤とんぼ=久郎兎
グラウンドゼロという単語が原爆の爆心地を表す英語表現だと聞いた。
ゼロという概念を考えたインド人は数学に革命的進歩をもたらしたが、現在のIT産業の土台をインドの数学者達が多く支えている事にも深い感慨がある。ゼロという概念には無気味さと空しさがある。漢字の「無」という文字の象形が、神の前で羽飾りを付けて無心に踊っている巫女の姿を描いているのとは対照的である。
死ぬ前に一度でいいから「母なる存在に負われて」夕焼けの赤とんぼを見てみたいものだ。

●わが心平和になりての世界平和=澄響
結局、私の心の中にだけ、私の「平和」も私の「戦争」もあるのである。
問題の本質は其処に隠れているのではないか?
たとえば、オードリー・ヘップバーンや黒柳徹子さんが抱いている『心の平和』というものを想像してみる。
06/SEP./2005

●風天

●風死してフーテンのまたひとり逝く
私が学生の頃に人気のあった漫画月刊誌に「ガロ」「COM」があった。
そのころ、つげ義春、古川益三、樹村みのり、高野文子等とともに活躍していた漫画家「永島慎二」氏が亡くなった。
「漫画家残酷物語」や「フ−テン」等の代表作がある。
風狂、瘋癲、風来坊、フーテン、今どき流行らない呼称だが、60〜70年代に共感をもって支持していた人達の像が「フーテン」という言葉の中に収斂する。
寅さんも加えていいかもしれないが、最近、自分の周りの尊敬すべき風天が次々と亡くなってゆく気がする。
桂枝雀、山尾三省、高田渡、そしてあの杉浦日向子さんがつい最近亡くなられた。(主な著作に「百日紅」「風流・江戸雀」「百物語」「二ッ枕」など。)

フーテンが基本線にある私にはフーテンが亡くなるのが一番寂しい。
いろんな考え方やキャラクターがあっての世の中ではないか!
グローバルスタンダード、能力主義、拝金主義、競争社会から半歩はずれて、自分なりの生き方を楽しんでいられる人が好きだ。チャレンジする事は、眼を輝かせて生きる為には人間、絶対に必要不可欠なことである。ただし、「負けるが勝ち」ってことも許容できる懐の広さも持ち合わせたおじさんになりたいものである。
自分の狭い度量で人を敗残者だときめつけるなよ、ってところである。
そうじゃないと、「俳句」なんてやってられまへんよん。
江戸の風流を愛し、風変わりな妖怪達との素敵な恋に生きた日向子さん、さいなら・・・
●大江戸の恋ひし雀に夏終わる=月下村
o6/AUG./2005

●二人の聖母

南イタリアを再び、訪れる。
そこには文化の始源がある。人が見える。人間が3000年にも亘って営々と積み重ねて来た生活が伺える。人間を支えてきた豊かな自然が、今も変わらずに存在する。
一面の麦畑、一面のオリーブ畑、羊の群れ。牛の放牧、一面の葡萄畑、そして、車窓から不意に飛び込んで来る真っ赤なポピーの花畑。
パンとパスタとオリーブ・オイル、様々なチーズと乳製品、それからワイン、そして真っ赤な花。
人生とは、人間とは、シンプルに表現すればこれがすべてだろう。 「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」、何度でも繰り返して呟いてみる。「食べる事、歌う事、愛する事。」

今回の旅で、私は期せずして二人のマドンナ(聖母)に出会う事になった。
ひとりはフィリッポ.リッピ「聖母子像と二人の天使」の中の修道女ルクレツィア・ブティ、もうひとりは聖ピエトロ寺院のミケランジェロ作「ピエタ」のマリアである。シモーネ・マルティーニのサン・フランチェスコ教会のフレスコ画「聖キアラ」も素敵なマドンナだったが、欲を言えば、彼女が家を出て、フランチェスコのもとに走った18才のキアラを見てみたい。
ルクレツィア・ブティは「通俗」、マドンナは「聖性」の極みであり、キアラはその両面を兼ね備えている。このルクレツィアからキアラを経てマリアに繋がるマドンナの線上にこそ「美」は在るのだという思いが強まる。
アッシジという小都市で出会った、聖職者や修道女のあまりにも人間的で可愛い人形達を見ていると、神が与えてくれる「創造」の秘密はすべてそこにあるような気がする。
ぐうたらで、いい加減で、ずるがしこくて、のんべえで、好色で、ひとりよがりで、好奇心に満ち溢れた、愛らしい顔の人形たち
30/JUN./2005

●優しい時間

今月から新しく始まったドラマ『優しい時間』が良い。
まず、主題歌の「明日」が良い。平原綾香の切なる吸気がすこぶるに良い。
別れた恋人に対する、(如いては人生に対する)切なさ、愛おしさ、哀しさ、優しさ、希望、光り、心の弱さ、強さの全てが謳われている。
相反するもの、心情の表と裏はもともと一体のものである。抒情とは歓喜と悲哀とが表裏一体となって万感胸に迫る感情であろう。まさにモーツアルトの「駈け抜ける悲しみ」であり、それを突き抜けて歓喜に至るベートーヴェンの『第九』である。

ひとが感じていることに優劣はない。それを愛おしむことに優劣がある。体験に感謝すること、よく認識することに本意がある。そういう意味ではおよそ、学問や芸術一般に共通した考え方が此処にあるだろう。哲学然り、俳句然り、音楽も演劇も料理も愛も同様。

言葉とは何か?
一般には動物と人間を峻別する一つの捉えかたとして、言語を獲得しているか、否かという論議がある。歴史や科学を持ち出すまでもなく、生死という究極のテーマをも前提として成立させているものは言語である。
ものの本でこんな話を聞いた。
狼に育てられた少年が人間社会の中で言語を獲得してゆく過程のはなし。
少年はそれまでの精神のカオスから抜け出でて、初めて安らぎと愛と「時間」の観念を見い出すのだが、同時にそれは今までは知らずにいた「死」の宣告でもあったのだ。

「優」という漢字は人+憂=音符の憂は、大きなかしらをつけて足踏みする意味。面をつけて舞う人、わざおぎ(役者)の意味を表す。転じて、やさしい、しとやかの意味を表す。
『優しい時間』とはおおよそのところ、そんなドラマだろう。
それにしても倉本聡(脚本家)の少女観にはいつもいつもシンパシーを抱かせられる。
「北の国から」の螢、れいちゃん、しゅう。今回の梓。
あんなにピュアな少女は、実際には存在しないんだろうけど、それが男の側から勝手に冠した「少女」に対する「言語」であるという訳であります。
30/JAN./2005

●トライアングル・サーキット(最後の卒論)

「最後」と題したが、実は最初の卒論も同じテーマだった。
九州大学、菅豊彦先生のもとで、西洋哲学はルドイウィッヒ.ヴィトゲンシュタインを卒論のテーマとした。(結構その論文『痛みについて』は先生からお褒めの言葉を頂いた記憶がある。)
哲学とは畢竟、「人は何故この世に生まれてきたのか?」とか「自分とは何か?」というのが定番のテーマなんだが、かくいう私の主題も同じ、「この世に生まれて、唯一なすべき命題とは?  曰く『世界を認識すること』、それのみである。」
というのが若い時から変わらぬ考え方であります。

みなさんは昔、五木寛之が贔屓にしていた「藤圭子」という名の演歌歌手がいたのを覚えているだろうか?今をときめく「宇多田ヒカル」の実のお母さんである。
彼女の唄う「十五、十六、十七と私の人生暗かったぁ〜♪=『夢は夜ひらく』は、その時代、昭和60年代後半の日本の音楽シーンを一世風靡した。

私の考えでは、およそ人間というものは誰でも、そいつの人生の台本を15、16、17才の時には、ほとんど完成させているのではないか思う。
これらの経験則を三つのステージに分かりやすく区分してみよう。
15才=生理=をんな、あるいは恋愛(欲望から意志へと昇華)
16才=感覚=ばくち、あるいは勝負(感情から悟性へと昇華)
17才=記憶=さけ、あるいは祭り(理性から認識へと昇華)

生理→感覚→記憶→欲望→感情→理性→意志→悟性→認識。この循環が哲学のすべてであり、生きることのすべてである、というのが私の考え方だ。

ひとつ、『林檎の認識』について考えてみよう。
赤ん坊として生まれた『私』が『林檎』を認識していく過程の話である。
生理→「食べたいぃ〜〜!」
感覚→「うまい〜〜!」
記憶→「うまかったぁ〜〜!」
欲望→「あれが、食べたいぃ〜〜!
感情→「やっぱり、こりゃあうまい〜〜!」
理性→「『林檎』ってうまいもんやなあ〜〜!」
意志→「『林檎』を食べるぞぅ〜〜!」
悟性→「やはり、『林檎』とはうまい食物であるなぁ〜〜間違いない!」
認識→「甘く、うまいこの果実こそが『林檎』である。」

この認識論を仮に『トライアングルサーキット』と名付けてみたい。
これからも私が生ある限り、命題として背負って行くだろう人生のすべてがここに在る。
2005年の冒頭、この哲学なき混乱の時代に是非とも皆さんに問うてみたい命題であります。
12/JUN./2005

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