随想集「月下独作」/2003


●2003年よ、サラバイ!

来年は、とてもじゃないけど、いい年になるような気がしない2003年の暮れである。
「裁き」の物語りが蔓延して、「赦し」の神話が語られない一年であった。
いい加減にしてよって言いたいアメリカに付いてゆくしかないのか、「ひのもと」は。

友人の整体師のクリパで出口王仁三郎のひ孫さんにお会いした。とてもさっぱりとした方で、パーカッションを自在にリズムッテおられた。
「へ〜この人が、かの『燿碗』の作者の直系か!」とびっくりしたけど、お話ししてみるとあっけないほど、圧力のこない、湯上がりの照る照る坊主みたいな人であった。
あんまり普通なんで、いろんな事聞くの忘れちゃったけど、案外と「大本教」のトップにもなると、そんなものなのかもしれない、と思う。
あの人は、絶対に人を「裁かない」と思います。大体、相手を裁くって行為は想像力の貧困からしか生まれない「おばさん思想」だと思う。相手を理解し、一個の他者として受容するするには大変なイマジネーションの力が必要である。
「北朝鮮」を理解し、受容することは果たして可能なのだろうか?そこんとこを出口さんに聞いとけばよかった。おだてられてのんきに歌なんか歌っている場合ではなかったのだ。

今年が暮れていきます。ジーザス・クライストは恋人達に素敵な時間を演出してくれるけど、イスラムの人々は全然偶像を崇拝しません。中身なんにもないのにラベルばかり貼って貼って、町中がハリウッドかディズニーランドみたいになってる「ひのもと」を、みんな愛してるんだろうか?ルミナリエが物語るひとときの夢をみて、未来を想像することを思考停止しても、もうすでに、アルカイーダは10人以上日本に潜伏してるって、誰かその方面に詳しい人が言っておりました。

イラクに派遣される自衛隊の若者に犠牲がでた時に、こちらが「赦し」の物語りを作れないとしたら、その時には「ひのもと」は、いろいろな意味合いにおいて滅びるしかないのかもしれません。
24/DEC./2003

●SMAP

いい年こいてSMAPもないのかもしれないけど、わたしは好きです。
ただ、うちのカミさんのキムタクにたいする熱狂振りには負ける(勝てるはずがないわ)
50前の主婦があんなに燃えられるのもすごいが、それだけ彼等には今までに培って来た人間としての「魅力」、仕事の上で積み重ねて来た「実績」があるのだろう。
彼等の仕事ぶりに感心させられる事は多々あるが、(たとえば「スマスマ」なんてTV番組に一番必要な「品位」みたいなものを唯一、保持しているバラエティー番組で、かのBBCの「モンティ・パイソン」に比肩すると思うけど)それはさておいて、今回のテーマは「仕事仲間」「同志愛」について・・。

御存じかどうか、今私は基本的にはひとりで仕事をしている。「お絵書き」の実演で出張してない時は9時から5時まで、(最近、6時から5時に変更。仕事も前みたいにたくさん来ないし)まるで公務員みたいに出勤している。自由をみずからで自己コントロールしてる訳だが、なんせ「ひとり」である。
寂しいとか言ってる訳じゃないよ。ただ、SMAPのように(慎吾にキムタクがいるように)「同志」がいたらなあ〜って最近思うようになった。
私の友人にM.O.P.って劇団の女優さんがいるんだけど、彼女を見てても羨ましいと思うのは(いつもは、劇団員のひとりひとりが別々に仕事していても)、年に何回か同じ舞台に帰って来て一緒に仕事ができる事だ。同じ「作家さん仲間」でよく旅先で御一緒する帯屋の若旦那とかアドバイザーの先生方とか、友達はいっぱいいるけど、どうも究極のところの目的や夢が違うんだな。
むしろ、この前一緒に個展をまわったシンガーソングライターやギャラリーのオーナー、33年振りに再会した同級生達や私の絵を追っかけてくれてるコピーライター、「月下村名誉村民」であられる書家や、昔、異国の地で知り合った親友なんかに同志愛を感じます。
[Moon Light Angels Company]=実のところ、もう名前はできてるんだ。再来年を目標に映画を作る(本当は何を作ってもいい。「CD」でも「イベント」でも「家」でも「村」でも。)資本金1億。
しんちゃん、一発あててや!!それとも私がデザインした「天使のゆかた」が「さが美」か「やまと」の打ち出し商品になって爆発的に売れるか!
生きてるうちに夢は見とくもんやね。
15/DEC./2003

●12月

12月です。
昨日の8日はジョン・レノンが暗殺された日であり、日本軍が真珠湾を空襲した日であり、またお釈迦様が悟りを開いた日でもある。
暦ではちょうど満月の日にあたり、ニュースには伝わって来ないが、いろいろな出来事が世界中で起こっていたに違いない。
京都では「月下村々民」のしんちゃんと彼の友人である石井文人君のふたりのセッションライブがあった。
「くう」という小さなお店の二階である。「くう」のマスターの「ゴローさん」は500枚に及ぶの70年代フォークのアルバムを所蔵している。
懐かしい名前が並ぶ。山崎ハコ、森田童子、中川五郎、斉藤哲男、シバ、遠藤賢司、武蔵野たんぽぽ団、加川良。今でも活躍している憂歌団、吉田拓朗、浅川マキ、あがた森男。
タイムスリップしている不思議な空間に潜んでいる聴衆、30人は、世代を超えて、初めて会う人ともすでにお互いが同胞の気分だ。
歌というものは素晴しいな、とつくづくそう思う。来年は、しんちゃんや他の友達にも手伝ってもらって自分のオリジナルCDを作るぞ!、固く心に誓う。
ラストの曲は「ジョン・レノンにちなんだ曲を〜」という私のリクエストに応えてくれて「STAND BY ME」。
酒盛りはライブを終えたあとも午前3時まで続くのであった。
09/DEC/2003

●夜明け前

この時間が好きです。
うちのジャガマリンちゃんは無心に観覧車をまわしている。夜行性動物なので、自然界では餌を求めて10〜20kmも移動するらしい。
静かに、深く呼吸をくり返すと、少しだけ体が新しくなったような気がする。
これから処女光を迎える為に加茂川へジョギングにでかける。50過ぎたところで、こうした毎朝の習慣が身に付きかけているのは喜ばしいことだ。
ジョギングのあと体操して、気功をして、それから大声で川に向かって唄う。
個展でライブをするために始めた「唄の練習」だけど、個展が終わっても続けている。 禅宗の修行僧は毎朝、こんな気持ちの良いことをしてたんだ。

大きなニレだかカシだかブナだか知らないが、おおきな木々の間から、今日初めての光りが訪れる瞬間。
この刹那だけは必ず無心でいられる。
ひととき、様々な幻影に捕われている自分から解放され、瞬間、森羅万象を分け隔てなく愛している自分がいる。
01/DEC./2003

●コスモス忌

私達夫婦の仲人を引き受けて下さった方の8回目の命日である。
12年前の、こじんまりとした結婚式であったが、その時、我々を祝ってくださった方々のうち、一体何人の人が亡くなってしまったのだろうか?
実の兄が45才で白血病で逝去した。
「ママ」と呼んでいたコスモスの彼女が癌で亡くなられた。
去年、春先に父が、ちょうどこの時期に母が、すぐに後を追いかけるように往ってしまった。
去年もちょうど京都と東京の個展のわずかな隙間に、まさに時間を選んだかのように母は天国へ旅立った。
今年も東京、京都と続けて作品展を行います。自分なりに母への供養のつもりでもあります。染め絵の一つに「ソフィア」というタイトルの美人画があるのは、ソフィア=フィロソフィー=智恵子という意味が含まれています。
大切な人を失うことが、「失われたものをもう一度、形に表現したい」という創造性の源泉であるような気がしてなりません。
人は生きていく上で命を失い続けてゆくさなかに芳香を発するものだとしたら、それは供養塔に捧げるお線香のようなものかと、「コスモスママ」のお墓の前で合掌したのでした。
02/nov/2003

●驚きの免疫学

今、イタリアにすごく興味があって、塩野七生とかの本を読んでるんだけど、彼女と五木寛之の対談「おとな二人の午後」ってエッセイのなかに、びっくりするような話がありました。じつは私、大学では西洋哲学科でウィトゲンシュタインが専門だったんだけど、ま、自分では哲学青年のつもりだった訳です。さすがに在学途中から「哲学」自体に限界を感じて、バグワン シュリ ラジニーシの人間世界観に傾倒していったんだけど、やっぱりどうしても哲学青年体質は抜けきらないわけで、ややもすると「人生で人間の成すべき意味のあることは、『世界を認識する事』のみである。」とか思っちゃう方だったんですね。
それが、今回の五木寛之の話にはほんとにビックラこいた。
むかしから、それこそ高校の時から彼の本は読んでたけど、五木がこんなに凄いやつだとは思ってもみなかった。細かい事いうと長くなるのではしょるけど、彼が実のお母さんのことを書く決心をして以後、ほんとに彼ほどカッコよくて、ダンディーな男はいないと思い始めました。
 で、免疫学の話。=以後、本からの抜粋。
 五木「免疫の最大の働きは自己を決定する働きにあって、その自己と照らし合わせて、あっ、これは自分じゃない、これを拒絶しようと、こうして免疫が働き出す。つまり、自己を決定することが免疫の働きだということは、つまりアイデンティティを決定することなんですよ。」
 五木「免疫のいちばんの働きは単なる拒絶ではなく、自己の確立であることを免疫学が発見したからです。もうひとつ発見は、母親の免疫は胎児を自己でないにもかかわらず、拒絶しないことです。遺伝子学的にいうと、胎児は自己ではない。でも母親のからだは拒絶しない。それはなぜか。やはりトレランス(寛容)という働きが免疫にはあるんだということも発見できたんですね。」
 五木「さらに別の実験では、受精卵に、将来、ひよこの脳に発展するであろう胚の組織をウズラの脳の組織ととりかえるんですね。で、それをふ化させると、外見はやはりひよこのままなんです。写真を見ると、頭のてっぺんだけちょっとウズラのように黒い。ところが、そいつはウズラの脳を持ってるんですよ。ひよこはピー、ピーと一音節ずつ鳴くんだけど、ウズラはピッピピーと文節をつくって鳴くんです。そのヒヨコは三音節で鳴くらしい。鳴くたびに、首を三回振る。つまりウズラの兆候を示すひよこが生まれ、しかし、しばらくして、ニワトリ本来の免疫のシステムが成熟してくると、やがて、この脳は自分でないと否定するんです。」
 塩野「脳を否定するってことは、脳は本山ではないわけね。」
 五木「ええ、脳は免疫を否定できないにもかかわらず、免疫が脳を否定する。そうすると、脳機能障害が起きて、食欲がなくなって、眠りがちとなり、やがて、ひよこは十数日で死ぬ。」
 塩野「それはからだのなかで免疫が本山ってことですか?」
 五木「そう考えられるでしょ。そうするとですよ。人間の人格をきめるのも、じつは免疫の働きではないのか。それから脳と免疫とどちらが優位かというと、脳は免疫体系を拒絶できないけれども、免疫体系は脳を非自己であると拒絶できるという事実。。これは押さえておかないといけない重大なテーマだとぼくは思うんです。」

デカルトは、遠い昔、こう言って哲学を規定した。”I think ,therefore,I am.” 今までの西洋哲学って、これで完全に白紙に戻ったようですね。

実のところ、そう考えたほうが、世の中は分かり易いよ。
他者を異物だって感じるのは理屈じゃない。自分の存在を破壊しようとしてくるものを、判断、拒絶するのは、「免疫」であって、「脳」ではない。「脳」=「論理」を重視しすぎると、自分が壊れてしまう。
MACがシステム環境に合わないソフトウェアをインストールして狂っちゃうみたいなものかもしれませんね。(それとも教育ママに反抗できなかった子供が自らの存在を『透明なボク』って感じて、他者とのコミユニケーションする手段が分からず、『殺す』ことでしか関係を築けないような悲劇が生まれるのも)ああ、頭でっかちのインテリジェンスははかなく消え・・・。

そこで、自分なりに免疫を高める経験、努力が必要不可欠になって来るんじゃないかと思います。わが免疫の資質にトレランス(寛容)が加わってくれたら、(世界中の人々がそうなれば)地球上に起こるのすべての現象は絶対に素晴しいものに変容するはずです。じゃあどういう方法で自己の免疫体系を鍛えればいいの?

ま、「無菌室」に閉じこもっててもアトピー体質を助長させるだけだから、自分だけで自分の本当にやりたい事考えて、自分の責任は自分で負うしかないと諦めて、あとは、外界に羽ばたくしかないっしょ!!  
04/Aug/2003

●イタリア随想・3

ドゥオーモ(洒落じゃないけど)、いまさら何でイタリアって言われそうな気配である。イタリアの評判は私の周りの友人達には、いまいち、の感がある。もう少しタイトに、スレンダーに、クールビューティーにいかないものか。ドゥオーモ(しつこいけど)ちょっと暑苦しいのである。脂っこいのである。
ん?それって俺自身のこと?

九州の田舎(九州御出身の皆様ごめんなさい)から京都に出て来て、「よろしゅうおまんなあ、元気がようて」って、そのまま受け取っていたら、セレブリティーには<洗練されてない、俗物趣味>と相手にされてなかっただけって事がある。
統一されてたかだか140年のイタリアと建国2000年の<日の本の国>って訳じゃないだろうけど、頭っから馬鹿にされてるみたいなところがイタリアにはあるね。デルピエロよりベッカム様。種馬より貴公子好きの体質かな。(実は世界の一等国の欧米人こそが日本人のことを成り金の田舎者としか思ってないんだけど。)

自分が「上流」になれない事はよく分かってるけど、(洗練=センスで、じゃなくて、こっちとら純情=ピュアーで勝負なんだから)浅薄な「上流」意識って、本当、一掃したいな。
京都に住んでて、こんなこと言うのもなんだけど、京都=パリ、博多=ローマ、だとしたら、(街は別にして)人間は絶対、ローマでしょ。

今回は自分でも何が言いたいのかよく分かりません。つい最近、博多時代の同窓会(筑紫丘高校23回生)の仲間達とインターネット繋がったんで、興奮してるんやろか?

なんせ博多っ子がいっちゃんすかんとは、つや〜ばつけとう奴やけんね。
山笠のあるけん 博多ったい!
でもって、タラス・テヴェレのあるけん ローマくさ!
16/july/2003

●イタリア随想・2

 昔、「ルーツ」っていう外国のテレビドラマが流行ったことがありました。
自分は何処から来たのか、何故ここにいるのか、今の自分はどうしてこんな人間になっているんだろう。いつの時代にも誰もがくり返し問うてきた命題です。
そのことの意味と価値を理解しようとすることが人間的な所業の全ての源にあるのだと思われます。学問研究のみならず、芸術的表現、仕事をする事、生活環境を調えていく事。旅する事も、遊ぶ事も、ボランティアだって、ただのおしゃべりだって、それから、「病む」事でさえ、ひょっとするとその命題に答えを見つける為の努力の「結果」なのかもしれません。
 イタリアを旅行していた時に感じた不思議なカタルシス。それは、知らず知らずのうちにその旅が、自らの存在の「ルーツ」を垣間見る旅になっていたからに相違ないのでした。

「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」。「食べること、歌うこと、愛すること」、人生にとって大切なのはそのみっつだよ、とイタリアは教えています。
もっと大事なことが他にあるだろう!って言葉が聞こえてきそうです。ちいさな子供を育て、老いた親を介護し、隣人と仲良くし、社会に貢献して何か人のお役に立てるような事をするとか、戦争をこの世界からなくす為、市民運動するとか。でもそれって、考えてみると全部、「愛してるから歌いたい」って事ですよね。黒柳徹子さん、しかり、瀬戸内寂聴さん、しかり。「遊んでばっかりいちゃだめよ!」なんて、身近なところは母親から始まって、世に言う「支配者層」が被支配者を抑圧してそこから利益を上げようとする時のセリフだと思われます。
じゃあ、もう一つ残ってる「食べたい」ってどう言う事?「食べちゃいたい!」とかってものすごく可愛いものを無理矢理自分のものにしたいって時に使いますよね。美味しいものを食べるってそう言う事かもしれませんね。「食べる」とは、魅力的な他者と同化する、または一体化する、という意味でしょうか。
それが大切なことは分かるけど、「食べられるほうの身」になって物事考えないと、世界中で起こっている悲惨な出来事は、そういう想像力の不足から始まっているのかもしれません。 
06/july/2003

●イタリア随想・1

 これまで、自分のその時々の興味にまかせて、いろいろな国々を旅して来たのですが、 今回のイタリア旅行で、前回までの渡航先のあらゆる国が、(それまでは、個々のとぎれとぎれの印象にすぎなかったものが)見事にひとつに繋がったような気がして、それが一番嬉しかった事です。
 考えてみれば、それも当然の事で、まあ、四大文明とは言っても、実際のところ、今の世界の生活・文化の中心的な部分は、ギリシャから面々と続いて来た西欧文明に依拠するところが多く、世界中の国が、なんらかの影響をそこから受けているわけです。
 まさに、イタリアは、紀元の前々から、常に世界の中心だったのだ、と感じさせられました。
大雑把にざっとその歴史を追ってみると、ギリシャのアクロポリスからはじまって(残存遺跡が目に見える形で今に続いていて、実際、美術館などに使われている)ローマ時代。アラブ、イスラムの支配。ノルマンの勃興。クワトロチェントに始まる、人間性復興とメジチ家に代表されるような、商人、芸術家、職人の文化の興隆。 一方ではカソリックの総本山としてバチカンをまもり続けながら、人間至上主義から快楽主義までも容認しているその懐の深さに圧倒されました。
 イタリアの魅力を一言で表現すれば、その人間らしさ、人間臭さですが、一見エロチックで、軽薄で、下品だとも思えるような自己主張、自己表現の奥にとてつもなく大きなエネルギーが渦巻いていて、その「人間である事の喜び」は、確かに歴史の中から、ひとつひとつ市民が獲得してきたものである事が実感されます。
 さて、ここからが、難題です。ミケランジェロ、ボッチチェリ、ラファエロ、レオナルド、ダ、ヴィンチ等が努力して解放してきた「人が人らしく生き生きと暮らせる社会」がその後、紆余曲折して辿り着いた現代社会。
 まさに、その快楽と苦悩、愛と罪、報酬と罰は、イタリアに全て内包されて、渦巻いているように思えました。
20/jun/2003

●パソコンーインド論

先日、穏やかな日和の日曜日、友人達と「民博」の『チベットまんだら展』を見てきました。プラタナスの並木が、20メートルはゆうに超えそうなぐらい大きく育っていて、「万博も、もう30年以上前の事だったんだなあ。」と、思い返されます。
チベットの「砂絵」の事を、確か、バグワン シュリ ラジニーシはテレビジョンと同じく、「無常」の観念を表出している、と言ってたような気がします。 砂絵=TV論が成り立つなら、パソコン=インド論ってのはどうでしょうか。

まんだら展の話に戻りますが、人間が世界観を構築する上に於いて、二元論というのは、とても有効で、便利な方法だと思うけど、ひとつ、欠点があるとすれば、その「陰陽」を対立的に捉えやすい、イメージしかねない、という事があると思います。
極陽は陰に転じ、極陰は陽に転じるといいますが、例えば男と女でも、先のラジネーシの言葉を借りれば、ポケットが女で、ポケットをひっくり返したのが男で、そんなに大差はない、というのが二元論の真骨頂かな、と思います。
よく聞く話で、「インドにはあなたが探しているもの、求めているものがすべて存在している。それを求める人間の数だけインドがある。」というものがあります。言い換えれば、人それぞれが今見ているインドはお互い全く別個のものであるようです。パソコンも同じ。
ものすごく複雑なものがこの世界であったとして、インドもパソコンも陰、陽、陰、陽。0、1、0、1。ってことの膨大な順列、組み合わせかしらん、って「まんだら」見てて感じました。

ホームページ作ってて、<自分が神様だと勘違いしてる>庭師みたいに思えたのも、二元論の認識それ自体が、ホームページ作成だからかな・・・。

なにも世界が分かった訳じゃないけど、生と死も、「大差ないなあ」って風に思えたらダンディーで、あるよね。
20/may/2003

●[SARS]って何?

猛威をふるっている。どこから来たのか、何しに来たのか、まだ分かりません。
はじめはテロかと思った。でも考えるに、そのほうがまだましだったかな?
相手は人間じゃなくて神様みたいです。 コロナウィルスって太陽からの使者?

  人間は地球という生命体においては、癌細胞なのかしらん。 こんなに増え続けてもいいんだろうか?
消費社会を支えて、無限に経済を成長させるのがイメージ操作で創り出されるバーチャル な商品である。「人はパンのみに生きるにあらず」という哲学が、いつのまにか「人間の欲望には果てがない」という企業戦略に変貌をとげた。
着る、食べる、住む、が人間にとって不可欠な要素である事は充分理解する。 第一次産業と云われていた分野だ。 人の欲望のみなもとである。
 いま、盛んにマス・メディアで、こぞって皆が「究極の・・、究極の・・、」とのたまわってるけど、タケノコ喰うのに、エグ味を出さないために、土ごと掘り返してスタジオまで運んで焼いてたけど、そのうち、シェフ・ミクニがそんな風にコ・ダ・ワ・リ.ださないかと、とても心配だ。
 セレブな人達は、100万払っても「喰いたい!!」ってお仰るんじゃないか?  田舎に住んでる人は、フツーに喰ってたりして。
 
村上 龍が昔、一番贅沢な旅は、砂漠のまん中の超一流ホテルでジャグジーに漬かりながらピラミッド眺めつつ、ドンペリ呑むことみたいに言ってたけど、それって、本当にカッコイイ事なのかいな? 太陽の使者が突然現れたりして・・・。
13/may/2003

●「チョコレートの関係」

今春から始まったTVドラマ「ホットマン」にはまりました。
「山内菜々」って子役がたまらなく、オッサンはカワユイ。
実人生では子供がいない夫婦ですが、正直「あんな女の子がほしい。」と思います。
僕にとっては「北の国から〜」の螢ちゃん以来の子役だけど、あの頃とは少し違う感情で、彼女を見ています。
こういう好きになりかたってのかな?保護者っぽい。

ある、ひょんなキッカケで、ジャンガリアンハムスターの子供を飼うことになりました。
なかなか慣れてくれません。もともとそういうキャラみたいです。
夜行性で、とっても神経質。そしてあまりにもおばかさん。

何も画策する必要のない、手を打つ術もない、そうしか他にどうなり様もない関係って、生まれてはじめてチョコレート食べた時みたいな不思議な味わい、で、あるよね(沖縄風)。   
09/may/2003

●「 50才を過ぎて」」

50才を過ぎて、幸いな事に、なんだか好きな事だけして生きていけるようになっております。
こうして居直ってみると、人生って、いつでも青春なのだな、ということがはっきりと理解できます。
17才の頃と同じ様に、今の自分がとてもナイーブでセンシティブで、(涙もろいっていうか、この世界に生きている事がそれだけで幸せすぎるような感じっていうか。)
遅ればせながら、(友人のたってのススメで)芦原すなおの「青春デンデケデケデケ」を読みました。 後半の五分の一ぐらいは鼻をズルズルいわせながら読了しました。
おんなじやんけ!と、でも鎮魂歌とちゃうんちゃうけ、と。今の今の事でしょ?と。 あの頃、僕もフォークを唄っていた!、ブルースに憧れていた!。懐かしき、愛しき日々。
11月、京都と東京で個展やります。 唄いますよお〜、あの頃作った歌も、50のオッサンの歌も。
若気の至りで、怖くてできなかった事、これからドンドンと挑戦したるやんけ! 皆様も、御迷惑でなければ、これも御縁だと思っておつき合い下さいね。
ひさぶり、小説おもろかった!  
 09/apr/2003

●「お花見を終えて」

年を重ねるに連れて我が「お花見道」も「茶道」に匹敵できるような美意識の高まりを見せております。
「お弁当道」は春にちなみの食材というテーマを、皆さん意識上に当然のごとくに取り入れられ、なおかつ、関西という地域性も加味した高度な物作りに、上級のコラボレート、究極のアンサンブルを実現していたと思われます。
 まさに一期一会の出逢いが、達成されていました。この貧しすぎる昨今のお弁当文化に比して、なんと素晴しい料理の数々であることか。
「宴会道の申し子」といわれるわが妻も、股関節をはずすことなく無事、「舞踏道」を完了いたしました。
唄う友禅師の肩書きを持つ、不肖、月下村某も、懐かしき斉藤哲夫の歌を熱唱できました。 あ〜〜あ、気持ち良かった!
まだまだ、奥のふか〜い「お花見道」でございますが、この世で、あと何回、桜との饗宴を持てますやら、(先の事は誰にも分かりませんが、)一途にこの道を極めていく覚悟でございますので、どうぞ皆様、今後とも宜しくお願い致します。
  (小さい声で)、「来週末ぐらい、も、もう一回、やりたいなっ。来れなかったメンバーもいるし」、ってか!  
 02/apr/2003


●「その日に見るだろう」

その日に見るだろう 美しき無常の月。
その時に出逢うだろう 悲しき無情の天使。

今年の正月「書き初め」で我が家の襖に記した書です。
"幻月下村信士"とは自ら付けた戒名でしょうか?
「月」や「天使」が意味している、指し示しているものが何なのか、謳った自分にさえ分からないし、恐らく、言葉はあらゆるフィールドへと放たれ、色んなステージに舞い降りるに違いありません。
 
お花見をします。
突き抜ける悲しみは歓喜に通じているという事が実感されるこの季節。
少しモーツアルトの気分で、遠ざかってゆくものに追悼の歌を唄います。

攻撃しようとするものは、なにを守ろうとしているのか?
自らの身体にも精神にも、時間軸に留まっているものがあろうはずもなく、命がけで守ろうとしたものが「虚無」という名のエゴにすぎないならば、勝ち取ろうとせずに、持っている武器を全部捨て去ることだけがエクスタシーを迎える方途なのに。

春が来ました。  
 28/mar/2003

●「オスカーワイルドの言葉」

"神は、そのものを罰するときのみに、そのものの願いを叶え給う"
この世界に生まれてきたからには、あらゆる未知なるもの、甘美なるものを経験する事こそが一個の生命体が負う使命なのだと思われます。
甘い経験は必ず風化し、享受ー風化のくり返しは自ら罰せられるために願いを懸けるというジレンマを呼び起こします。
けれども不思議なのは、それら倒壊の生の中から、より一層甘美なるものが立ち上がってくる事です。
同胞には、こう言って共感を得たいんだ。
私達は、罰せられる事が必要じゃないのか?倒壊の生を甘美ならしめ、死をダンデイズムの極北で迎えるためにも。
次の個展に出品する板絵のタイトルはこうです。
"さくらの花弁が大地に触れる時のように、ブッダが刹那を迎える時の、限りなく甘い吐息のごとく。"  
 02/mar/2003

最初のページへ↓
月下独作/2005