ひみこ  随想集「月下独作」 19/MAR./2006〜06/APR./2013


*痛快オキナワン

●春嵐ニライカナイの力神

8年ぶりに友人が上洛した。
生まれてこのかた、あとにもさきにも、彼以上に声のでかい男に会ったことはない。

京都に住んでいた時はNGO関連の会社で井戸を掘っていたが、様々なボランティア活動にもあきたらず、ある時、祖国沖縄を想って、帰郷した。
現在は那覇市で清掃員をしながら、沖縄自治国を夢みて市民運動を展開している。沖縄関連の本を三冊出版しているので、時々、地元の大学から講演を頼まれたりしているようだ。

彼の高校時代の逸話。
那覇市から北側四分の三の海岸を三日で歩ききった彼は、自分の体力に自信をつけて、ある日、残る南側四分の一の海岸通りを走破しようと試みた。
朝、玄関を出る時、2才になる飼い犬が、彼の眼の色を伺うように見るので、ついでに散歩に連れて行こうと思い同行させた。

これが世の中不思議なところだけど、この彼の親切心が、逆に犬を悲惨な目に遭わせる結果となったのだから面白い。
あまりに早い彼のペースに付いてゆけずに、行程半ばでワンチャンのほうが先にへばってしまったのである。後ろ足を引きずって、まるで腕立て伏せしながら歩いているような犬を見かねて、彼はなんと、若い犬の硬直した足をマッサージして、そこから先はおんぶにだっこであと半分の行程を歩き切ったのである。

あな、恐ろしや〜( ̄∇ ̄;)、彼の辞書には39才になった今でも「疲労」という文字はない。
19/MAR./2006


*山尾春美さんからの便り

●風が来て君を知りぬる菫かな=月下村

 去年の桜の頃、初めて「書」作品のみの展覧会を開いた。
それは書道暦10年足らずの僕にとっては無謀で稚拙な試みであった。
書の題材のすべての詩や文章は、埴谷雄高氏の「不合理ゆえに吾信ず」、そして山尾三省氏の「南の光のなかで」という2册の本から採った。
 三省さんは2001年の8月28日に61才という若さで亡くなられた。
以前、京都の法然院というお寺に、氏の「詩の朗読会」の席でお会いしてから、折りにふれては毎年の行事等に挨拶状を交歓させて頂いていた。
一度、御一緒させて頂いた酒席で、大切そうに大切そうに両手で椀を囲み、少しずつ少しずつお酒を呑んでいらっしゃった氏の姿を思い出す。
僕はこれまでの人生で、三省氏以上に優しい慈悲の眼差しを持った人を見たことがない。 2001年、亡くなられた年の年賀状にはこんな素敵な一句が添えられていた。

●梅一輪の銀河系です=三省

 先日、奥様の山尾春美さんに、「南光屋久神名備老人」という文字を象形で表現したお軸と、「南の光りのなかで」の最後の一文となった「妻と子供達への遺言」を写経した巻き物を謹呈し、後日春美さんからとても丁寧なお手紙と、三省さんの御本を二冊(「祈り」「原郷への道」、ともに野草社刊)を送っていただいた。

『お礼がすっかり遅くなりました もう2月ですね。
寒中お見舞い申し上げます。
先日は立派な掛軸の書と巻物の書とお送りいただき、ありがとうございました。
もったいないものをお送りいただき、恐縮しておりますが、せっかくお送りいただいたもの 有り難くいただき、愚角庵(三省さんの書斎)に飾れたらと思っております、ほんとうにありがとうございます。
なにもお返しするものがありませんので、三省さんの本で昨年の夏と一昨年の夏と出版されたものをお送りします。 三省さんの新しい本はこれでおしまいと思います。
手のとっていただけたら嬉しいです。
屋久島は南の島といっても私達の住んでいる一湊は北西風が強く、寒く、アラレも時々舞います。もちろ奥岳は積雪があり、このあいだも九州第3の高い山である永田岳が真白になっていてヒマラヤのようでした。
2月半ばの”雨水”のころになるまでは寒い日が続くことでしょう。京都も寒いとききます。どうぞ、お体大切におすごしくださいませ。
遺言の書もうれしかったです。ありがとうございました。  山尾春美』
04/MAR./2006


京都吟行句会

●亀鳴いて独坐の雨も上がりけり
●精霊の姿あつめて春しぐれ
●囀りは禅の庭から町家まで

さる如月二十六日、「つぶやく堂」「百鳥」「白露」「はるもにあ」「丘ふみ游俳倶楽部」合同句会が京都の葱男発信でしめやかに(?)執り行われた。
メンバーはやんまさん(欠席投句)、電車さん、義風さん、なをさん、かよさん、くりおねさん、佳音さん、葱男の「男女八人春物語」である。

吟行の行程は「大徳寺周辺裏京都スペシャルコース」
京創作料理「斎.阿うん」→月下村ミニ展示会→新大宮商店街→瑞峯院独坐庭→船岡山温泉→佳音作ブラウニー→句会→イタ飯「Anri]

景が素晴らしい、禅の庭に春の鳥のさへずり、住職の説教にも真理が香る、たべものも美味しい。句作も選句も楽しい。お互いの句の感想、批評も勉強になる。
だが、句会の本当の醍醐味は何かというと・・・。
この会に参加していない人の話しで盛り上がるというのがオフ会の最大の愉しみなのである。 ん〜、のである。
(※写真協力:坂石佳音、謝々。)
28/FEB./2006


*師匠と弟子/鑑賞

●折鶴は紙に戻りて眠りけり
・・・そんな折鶴もいまは形を解かれ、残っている折り線がわずかに鶴であったことを示すのみで、 羨ましいくらいに安らかに眠っている。
これが、死というものだろうか。 露骨ではないにしても、たぶん掲句は小さな声でそう問いかけているのである。
清水哲男「増殖する俳句歳時記」より

※この句の作者は
高橋 修宏(たかはし・のぶひろ)氏。
昭和30年12月27日生まれ(49歳)。東京都出身。富山市在住。
著作:句集「夷狄」、詩集「呪景・断章」「夏の影」「水の中の羊」 現在、現代俳句協会会員、俳誌「豈」同人、詩誌「大マゼラン」同人。
(有)クロス(企画デザイン会社)を経営し、クリエイティブディレクターとして活動中。

●夕鶴も聖夜に羽を紡ぐのか=月下村
●むつび月初折裏に鶴のこゑ=月下村
高橋氏の無季俳句に触発されて詠んだ私の句である。
この折り鶴は不思議とクリスマスにもお正月にも似合う。
その理由はこの句が生と死を穏やかに去年今年(こぞことし)と繋いで、「永遠」を物語っているからだろう。
何故か私には「死」が「生」の師匠、先生に思えてならない。俳句も連歌も、勿論仕事や家族、恋愛といった諸々の精神世界もまた、同様である。
師は遠く彼方にも、すぐ傍にもいてくれる。それもかなり多くの師が私の周りには存在してくれているようで、大変にありがたいことである。

●蕪村忌の風花として句を選む=二六斎
●ジンタもて師を逝かしめて師走かな=砂太(加冷先生を悼む)
●真赤なる夕焼の欲し冬の菊=砂太(同上)
●そそくさと別かるる駅の時雨かな=砂太(同上)
●披講せよ千年の鶴二六斎=月下村(小山二六斎氏に捧げる)
●年忘れ恩師の肩をがつと抱く=月下村(白川砂太先生に捧げる)
07/JAN./2006


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